フォト
無料ブログはココログ

« 2014年7月 | トップページ | 2014年10月 »

2014年8月 5日 (火)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング 第2日目 ユルツェ ~ スキュ

目が覚めたのは6時過ぎだった。外は結構冷えたが、風を通さない頑丈な部屋だったため温かく眠ることが出来た。
夜中トイレに出かけた。屋外だったものの、同じ階だったので真っ暗な急な階段で足を滑らすなんてことはなかったのだが、便器は無く穴がひとつ開いているだけだった。
穴の下はそのまま肥料として使えるような区画が設けられている。かなり高い。
穴は大きく、明りも無いため足を踏み外そうものなら大事故が待っている。ヘッドライトでなかったら結構苦労したに違いない。足場に気をつけて用を足した後、部屋の端に積まれた枯葉や土を、スコップで穴に撒いた。こうしておけば、肥料になりやすく臭いも防げると教わったからだ。

因みに、トイレットペーパーを置く場所は勿論無いので、首から提げるポーチを持っていくと何かと便利である。

準備を済ませて7時頃ダイニングへ。トイレの後夜のうちに少し雪が降ったようで、外はうっすらと雪化粧だった。
この様子で峠は大丈夫なのだろうか。今日は2日目にして4,900mの峠を越えなければならないのだ。

Dsc_0218_2Dsc_0221ダイニングでは家の人々がすでにチャパティを作っていた。小麦粉やとうもろこしの粉を練って焼いただけのいたってシンプルな食べ物なのだが、これがとても美味しい。バターもヤクミルクから作っているそうでとても濃厚だった。
ヤンペルさんに天気のことを聞いてみたら、雲は高くなっており雪が降る心配は無いだろうとのこと。今シーズンの初雪だったらしく、積雪も大したことはなさそうだった。

Dsc_0227Dsc_02398時に出発。うっすらと雪の積もった緩い上り坂を、しばらく登ってゆく。
少し行くとキャンプサイトに着いた。ハイシーズンにはここに茶店が出来るらしい。

キャンプサイトからは傾斜が徐々に厳しくなってきた。息を切らさないように、ゆっくりと登る。
周囲は完全な白黒の世界だ。時々青空が顔を覗かせてくれたのだが、妙にその青色に違和感を感じてしまう。

暫く3000m帯に滞在しているとはいえ、2日目で4,900mは身体的にも結構きつい。
敢えて何度も休みながら、勤めて時間をかけて一歩一歩進んだ。
周囲は雲が多いが、隙間から覗かせたヒマラヤの荒々しい山々が僕らと同じ高さにまで来ているところをみると、頂上は近いのかもしれない。
Dsc_0249上から空荷の馬の一団が降りてきた。向こう側に荷物を届けた帰りだろうか。聞いたところ峠はもうすぐだとのこと、希望は確信へと変わり、現金なものでバテ気味の体にも力が湧いてくるのがわかった。

11時前、無事に峠に到着することができた。

Dsc_0255Dsc_0253ガンダ・ラ(4,900m)は、ヒマラヤの主だった峠にはどこにでもある石壁とタルチョが張られた、典型的な峠だった。僕らが登ってきた側からの強風で、タルチョは真横にはためいている。そちら側の天気は荒れ模様だが、峠を越えた反対側は、雲は多いものの穏やかに青空が広がっていた。
気温はそんなに低くないと思うが、強風のためかなり寒く感じる。
石壁の風下のほうに腰を下ろし小休止。
あまりここに滞在しても凍える一方なので、記念写真を撮り息を整えた後早々に出発する。後は降るだけだ。

Dsc_0267Dsc_0271降りは流石に早い。どんどん進む。あっという間に中腹まできてしまった。時間は12時を過ぎたくらいだ。
丁度良い場所があったので、ここで昼食。今回も昨日と同じサンドイッチだった。ヤンペルさんは2食分用意してくれていたのだ。明日からは現地の家から調達するので、質素になるかもしれないとのことだった。

Dsc_0285Dsc_0290昼食後もどんどん降ってゆく。かなりのハイペースで歩いていると思うのだが、なかなか先が見えてこない。
地図を見ても、距離は相当あるようだ。ネパールのトロンパスからの降りもこんな感じだった。

いい加減飽きてきた頃にチョルテンとマニ石が見えてきた。これがあるということは、人が住む村が近いということだ(たまに例外はあるが)。

Dsc_0301Dsc_0297そこからも結構長いように感じたが、歩き続けて3時間、ようやく人の住む村シンゴに到着することができた。
シンゴは2つの川が合流する谷間にある村で、立派な民家が何件か建っているが、何故か人の気配がない。川を挟んだ対岸で休憩したのだがしんと静まり返った静かな村だった。農作業にでも出掛けているのだろうか。
背後に馬の鳴き声が聞こえた。振り返ると神々しく感じるほど綺麗な、純白の馬だった。なぜこんなところに一匹だけ?
ヤンペルさんによると、昨日会ったオーストラリア人が雇った馬ではないかということだった。
馬子さんはこの村に住んでおり、ユルツェを往復してきていたのだ。

休憩中、今日のスケジュールについてヤンペルさんから相談された。時刻は15時半。つまりここで宿泊するか、もう少し歩いて谷に出たところのスキュまで行ってしまうかだ。
ここで宿泊しても、マルカ谷での行程で短い日もあるので問題は無いらしい。少し迷ったが、歩けるうちに歩いておいた方が良いだろうということになり、出発することにした。

Dsc_0284歩き始めて少しすると向かって左側の山の斜面一面が、真っ白になっている場所に出た。どうやら石英の岩脈らしい。残念ながら近付けなかったのだが、明らかに光っている箇所もあったので、水晶化している部分もあるようだ。相当な危険な場所だが、良質のヒマラヤ水晶がここにもあったのだ。

道は川の中に入っていき、それまで歩いた道とはだいぶ違う、荒れはてた道になっていった。
Dsc_0303今までの道とは明らかに違うので聞いてみたところ、2010年、ここで大規模な水害が発生したそうで、下流のスキュ村もこの川沿いに住んでいた集落は家ごと全部流されてしまい、100人近い大変な犠牲者がでてしまったのだそうだ。
この砂漠のような高地でそれだけの雨が降ったというのも驚きだが、この人口の少ないエリアでの、さらに小さなひと集落で100人もの犠牲が出てしまったことに愕然としてしまい、少し言葉に詰まってしまう。
ここがその災害が起こった、まさにその場所だったのだ。
さらに聞くと、100人のうち50人ほどが外国人だったらしい。団体だったのだろうか。
まさかヒマラヤ3~4,000mの奥地で鉄砲水に襲われるなんて、夢にも思わなかったに違いない。
雨季だったとはいえそこまでの雨が降るとは、確実に地球の環境が変わってきているようだ。

普段から人通りの少ない道だったためか、3年たってもまともに修復されていないのだったた。
Dsc_0306ガイドブックにはシンゴから2時間ほどでスキュまで着くと書いてあったが、この状況ではなかなか辿り着けない。ようやく谷間の底に達し集落が見えてきたのは、日も暮れて月が明るくなり始めた19時頃だった。

流石に疲れ果て、ホームステイに通された民家では挨拶もそこそこに、用意された部屋へ倒れ込むように横になってしまった。
Dsc_0308Dsc_0310有難いことに夕食は部屋まで持ってきてくれた。用意された食事はすいとんのようなものと、塩味の効いたスープだった。すいとんは「スキュ」というらしく、そのまま村の名前にもなっているここの名物らしい。
これが日本人の口にも合って本当に美味しく、疲れた体でも抵抗無く食べることができた。おかわりをお願いしてしまったほどだ。もしカレーや脂っこいものが出ていたら、食べられるか自信がなかったので、本当に有難かった。

3日目へ続く。

****************************

管理人のネットショップ

ネパール・ヒマラヤ雑貨専門店「カラパタール」

http://nepalzakka.sakura.ne.jp/

****************************

« 2014年7月 | トップページ | 2014年10月 »

ウェブページ

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31