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2013年10月 8日 (火)

2011年 チベット カイラストレッキング 11日目~13日目(最終日) マナサルワール湖~ダム

2011年6月6日。11日目。今日より帰路の行程に入る。
名残惜しい気持ちもあるが、もう来た道を戻るだけと考えると、カトマンズへ戻った際の楽しみの方が上回る。11日も不便な生活をしていると、慣れては来るものの、便利な生活には飢えてくるものだ。
8:00出発。ランクルで舗装された道を東へひた走る。来た道をそのまま戻るだけだ。行けども行けども同じ風景なのだが、来たときよりも不思議と速く戻っている気がする。もうこんなところか、と思った場所がいくつもあった。
Kailas2011small482Kailas2011small480とはいえ、さすがに1日では着く筈もなく、サガの手前の適当な場所でテントを張った。
今回の旅でのテント泊はこれで最後となる。夕食は最後のためにとっておいた、日本から持ってきたカレーライス。コックさんは作り方を知らなかったので、僕とちか子さんで作り方を教えてあげた。

高度順応しきっていてうっかりしてしまいそうだったが、ここはまだ標高4,000m高地。沸点が低いので、そのまま作ってしまうとあまり煮えずに野菜も芯が残ったままになってしまう。
炊飯用の圧力釜をひとつ分けてもらい、野菜だけ煮てもらってから作った。

結果は大成功。皆さんに美味しく食べてもらうことができた。

Kailas2011small485食後まだ明るかったので付近を散歩した。最初あれだけ違和感のあったチベットの風景も、帰りの道中となると見慣れてありふれた風景に変わってしまうから不思議だ。

6月7日。12日目、同じ時間に出発。今日からようやく街らしい街に入り、ベッドで眠ることができる。そんなことを考えるだけでも、うきうきしてくるのだ。
途中サガの街で給油。混んでいてなかなか順番が来ず、2時間ほど待っていた。ようやく出たのが12時。
Kailas2011small489前方に巨大な湖が見え、来るときに立ち寄ったドライブインらしき建物でまた昼食を取った。結構現地の人々で混んでいた。
昼食後から道は無舗装に変わり、しばらく砂塵の中を通ると、急に綺麗な舗装道に躍り出る。
Kailas2011small492ラサとネパールを繋ぐ大動脈中尼公路に出たのだ。ここまで来たら今日の目的地ニャラムまではもうすぐだ。
タン・ラで来る時と同じく立ち寄り、タルチョを供え、無事に旅を終えることができたお礼と別れの挨拶の意味で、全員でヒマラヤの神々へお経を唱えた(般若心経だったけど)。心なしか気持ちが楽になった気がする。
Kailas2011small494Kailas2011897気負いは無いつもりだったのだが、カイラス巡礼はこの年の3月11日に起こった東日本大震災の犠牲者を弔うつもりでもいたので、知らないうちにそれが重くのしかかっていたのかもしれない。
ニャラムに到着したのは16時頃だった。たった2日でマナサルワールから戻ることができた。
宿に戻ると、先に別れた中山さんと、サポートの佐藤さんが真っ先に出迎えてくれた。元気そうなところを見ると、無事にここまで戻ることができたようだ。数日振りとはいえ、カイラスを越えてきてからの再会だったので、皆さんも大喜びで涙まで浮かべながら抱き合っていた。

ひと息ついたところで、それぞれ自由行動。僕は街を散策することにした。
ニャラムのような小さな田舎街でも、僻地から戻ると都会に見える。久し振りにインターネットも使ったし、シャワーも浴びることができた。
夕食は宿近くの中華料理屋で、現地スタッフも交えて豪華に仮打ち上げをした。勿論、カトマンズに戻ってからもやるつもりだ。
久し振りの本格的な料理だったので身悶えするほど美味しい。皆さんも同じらしく来る時には考えられないほどたくさん食べていた。

6月8日、13日目。朝は久し振りのふかふかの布団でぐっすりと眠ることができた。朝食は来るときに使わせてもらった小屋の中で、同行したコックさんに作ってもらう。彼の作る料理を食べるのは、今回これが最後だ。
Kailas2011902Kailas2011905サプライズがあるというので、皆で中で待っていた。外からネパール人スタッフ達が持ってきたのは、大きなケーキだった!しかも日本語で「あんぜんで たのしいたびを つづけて下さい」と書いてある!

一同大喜びでスタッフひとりひとりと抱き合って感謝した。僕らは本当に良いスタッフに恵まれたのだと思う。
どのパーティもそうなのかもしれないが、2週間の行程で僕たちやスタッフの間にも昔からの友達のような感情が生まれていた。彼らでなければ、この度は成功しなかっただろうと思う。
ケーキはメンバーそれぞれ一刀づつカットし、美味しくいただいた(なんとガトーショコラだったのだ)。

食事の後荷物をまとめニャラムを出発する。3時間ほどで下の街ダムに着いてしまった。
中国からの出国手続きのためガイドのナワンさん、クンチョク君の二人がイミグレに行っている間少し待ったが、それも1時間ほどで終わり、昼前には対岸のネパール領コダリへ行くことが出来た。

Kailas2011911チベット人ガイドのクンチョク君とはここでお別れ。日本でも会った事があるような親しみのある顔立ちで接しやすいガイドさんだった。ちょっと寂しいが、今後の活躍を祈りたい。
国境で最後の記念撮影。クンチョク君は対岸に渡りきるまで、ずっと手を振り見守ってくれていた。

2011年 チベット カイラストレッキング 終了

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2013年8月24日 (土)

2011年 チベット カイラストレッキング 9日目~10日目 カイラス/ズトゥルプゴンパ~マナサルワール湖

2011年6月4日。

9日目。宿泊地の標高は前日とほぼ同じ5,200mで、うまく眠ることができるか心配だったが、峠を越えた安心感からかよく眠ることができた。だが、川原が近かったためかテントが吹きさらしだったため、体感的にはかなり寒く感じた(枕元で‐3.5℃)。

朝食後荷物をたたみ、8:00に出発。

Kailas2011small394Kailas2011small401例によって僕たち歩き組は先に出発した。しばらくは岩のゴロゴロした道を進む。川には氷が結構厚く張っているが、地面には所々苔のような緑が生えているのを見ると今が夏なんだ、と感じることができる。

川幅はとても広いが、左右の山は高くカイラス山は残念ながら見ることができない。巡礼者用のテントが見えたが、早かったので今日はこのままスルーした。

Kailas2011small410Kailas2011small407視界に何か動くものがあったので川原をよく見てみると、プレーリードッグが何匹もひなたぼっこをしていた。それまで厳しい環境にいたせいか生き物を見ると和んでしまう。今日からは降るだけの道程なので楽なものだ。

Kailas2011small408Kailas2011small402道端に積まれた石に所々マントラの刻まれたものを見かける。中にはずいぶん古そうなものもあるので、大昔から巡礼者が歩いていたことがわかる。

振り返ると後発の乗馬隊が遠くに見えた。なんだか従者を引き連れた三蔵法師ご一行のような感じも見える。

しばらく変化の無い単調な道を歩いていると、途中から車道らしき道に変化した。どうやらここにまで開発の手が入っているようだ。

Kailas2011822Kailas2011small429複雑な思いを感じながらしばらく車道を歩く。11:30、今日の目的地ズトゥルプゴンパに着いた。本日の行程はこれまで。午後はのんびりとこの地で過ごす。早速スタッフがテントを張ってくれ、簡単な昼食を済ませた。

Kailas2011small418Kailas2011small417ズトゥルプゴンパは吟遊詩人でもある「ミラレパ」という行者が開いたチベット仏教カギュ派のゴンパだ。ミラレパは人気が高く数々の伝承(空を飛んだなど)が伝わり、タンカにも片手を耳に当てた姿で描かれるなど神格化されてはいるが、実在の人物だ。

このゴンパの中には彼が修行したと伝わる洞穴がある。お参りがてらこの洞窟も見てみたが、人一人がなんとか座れるくらいの大きさしかなかった。しかも天井は彼が神通力で押し上げたのだそうだ。まあ押し上げた話は作り話にしても、一人で修行するには丁度良かったかもしれない。

Kailas2011small422_2Kailas2011807その夜、同行のコックさんがカイラスをコルラできた記念として、有り合わせの食材を工夫してケーキを作ってくれた。皆で一刀づつナイフを入れ、全員に配り終わってからせーので口に運ぶ。高地なのでふっくらと焼くのは至難の業なのだが、このケーキは本当にやわらかく、美味しかった。

無事に越えることができた達成感と喜びを分かち合いながら、時間をかけていただいた。話は尽きることがなく、シュラフに入ったのは夜10時を回っていた頃だった。

10日目。この日がカイラストレッキング最終日となる。

いつもと同じく8:00に出発。ランクルはダルチェンの手前、トルントという場所まで来ているそうで、早ければ昼前には着いてしまうようだ。

Kailas2011small431Kailas2011small433あまり早く着いてしまってもつまらないので、途中カイラスから流れているという小川に立ち寄り、水を汲んできた。

ヒンドゥー教徒やチベット仏教徒は、カイラスで汲んできた水を聖水としてとてもありがたがるらしい。僕達もそれに倣って持ち帰ることにしたのだ。

持ち帰った水は自宅の冷蔵庫に保管されているが、何に使うかは今もって思いついていない。

Kailas2011small438Kailas2011small437途中、仏足石といわれる表面の一箇所が窪んだ石を見つけた。行者が付けた足跡とのことだが、本当だろうか。

幅が広く快適な平地を歩くこと2時間。道は徐々に細くなり、川に落ち込む斜面に変わった。傾斜はほとんど無かったが、片方が切れ落ちているため少し用心して歩く。

Kailas2011small439Kailas2011small436すると先行していたキッチン、ポータースタッフ一行が何やら騒いでいた。何事かと聞いたところ、なんと急に荷物を運んでいたヤクが暴れ出し、背中のものを崖下へ落としてしまったらしい。

積んだ荷物が道端に突き出した石に当たったらしく、それに驚いたヤクがまず暴れ出し、連鎖的に他のヤクも暴れ出したのだそうだ。

覗き込むと、確かに川岸に小さく散乱した荷物が転がっている。あの色のバッグはまさか・・・僕のだ。

道に残っているものもあったが、キッチン用具など多くは下に落ちている。他の人の荷物も気がかりだ。

僕は大切なものは全て自分で背負っていたのだが、それでも液体などが入っていたのでそれがこぼれて衣類に浸透したらえらいことだ。気が気ではなかったが、回収はスタッフに任せて広い道に出るまで先を急ぐことにした。

Kailas2011small442Kailas2011small457先には、狭く歩き辛い道にもかかわらず2人の女性が五体投地に励んでいた。両手に填められた靴や、前掛けもぼろぼろだ。

何日もかけてドルマラを越えここまで来たのだろう。身体の方も疲労でぼろぼろに違いないが、顔は生き生きとした迷いの無い表情をしていた。僕らを見つけて笑顔を見せている。もうすぐカイラス巡礼が完了するのだという嬉しさ、達成感からくるのだろう。

僕達も彼女たちに手を合わせ、巡礼が無事完了できるようお祈りさせていただいた。

Kailas2011small461Kailas2011small46415分くらい歩いたところですぐ広い場所に出たので、ここで休憩がてら荷物の回収を待つことにした。30分くらい待っただろうか。案外早く荷物を積んだヤクは戻ってきてくれた。

早速荷物を確認させてもらう。バッグは多少掠り傷が付いてはいるが、中身は全くの無傷だった。

幸い他の人たちの荷物やキッチン道具も思いのほか損傷は少ないらしい。どうやら衣類がクッションの役割をしてくれたようだ。本当に良かった。

Kailas2011829Kailas2011small463気を取り直して出発。すぐに建物が見えてくる。10分も歩けば僕たちが乗ってきたランクルも確認できた。もう到着予定地に着いていたのだ。

12:00頃、思ったよりもあっけなく、カイラスの下山地トルントに到着した。

Kailas2011861Kailas2011small465一同気が抜けたようになっていたが、一息つくとだんだん無事に巡礼が達成できたという達成感に包まれ、抱き合って喜び合った。

記念写真を何枚も撮影し少し落ち着いてきたら、だんだんお腹が空いてきた。

先程既に休憩してしまっていたので、さっさと荷物を車とトラックに積み、今日の宿泊地を目指すことにした。

Kailas2011small468Kailas2011small473Kailas2011small475ダルチェンを通過し、そのままマナサルワール湖畔へ。

15:00前に到着し、遅い昼食を取る。空腹のせいもあるが、高度順応前に比べたら一同呆れるほどの食欲だ。

ここがまだ高度4,300mもあるという感覚は既に全くなくなっていた。

Kailas2011874Kailas2011small476夕方。珍しくマナサルワールの雲は穏やかで、最後までカイラスはその姿を僕たちに見せてくれていた。

まるでこの巡礼を祝福し、見送ってくれているかのようだった。

11日目~最終日に続く。

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2013年7月10日 (水)

2011年 チベット カイラストレッキング 8日目 カイラス/ディラプー・ゴンパ~ドルマ・ラ

2011年6月3日。

8日目。昨夜はテントではなく、茶店の隣にあった小さな小屋にメンバー全員で宿泊した。

小屋といっても、トタンにガラス窓をはめただけの物置き程度の簡素なものだ。防寒の備えはあるはずもないが、風が防げるだけでもかなり助かる。

朝はかなりの冷え込みになった。昨夜から晴れていたので放射冷却もあったと思う。僕たちのシュラフの表面は、屋内だったにも関わらず霜で真っ白になっていた。

Kailas2011small320Kailas2011small323外を見ると雲ひとつ無い薄暗い空に、カイラス山がくっきりと浮かび上がっていた。これは凄い。朝焼けに映えるカイラスの画が撮れるかもしれない。

この場所は一生のうちにそう何度も来れる場所ではない。眠気と暖かさにかまけてこのチャンスを逃せば一生見ることはないかもしれない。起きなければ。

暖かいシュラフを持ってきたので、着込んでいれば寝ている間は暖かいのだが、起き上がるのはとにかく辛い。体は急に入り込んだ冷気に悲鳴を上げていたが、無理矢理着替えて外に出た。

やはり寒い。辺りはガチガチに凍り付いていて、僕の吐く息が真っ白になって湯気のように立ち上っている。温度計を持っていたので見たら・・・やはりマイナス20℃だった。せめて風が無かったのが救いだった。

Kailas2011small324時間は5時。辺りは徐々に明るくなり始め、カイラスは紅く染まりだした。

20分ほど待っただろうか。太陽はカイラス全体を紅く照らし、まるで真紅の宮殿か巨大なモニュメントのように、カイラスだけを紅く光り輝かせた。

Kailas2011small329僕はしばし呆然と、その姿を眺めてしまった。カイラスは太古より神々が住む山と当たり前のように信じられる程、神々しさに満ちていた。この姿を見ただけでも、ここまで来た甲斐かあった。

Kailas2011small331簡単な朝食を済ませ、出発前にカイラスをバックに記念写真を撮る。7時頃だったがカイラスは真っ白な姿に変化していた。

普通は中腹の黒い岩肌が露出しているのだが、この日は前日までの吹雪でこうなったのだそうだ。この姿もまた神々しく迫力がある。

カイラス山全体が雪や氷で覆われたので、先程は余計紅く映えたのだろう。聖地で使う言葉かどうか微妙だが、「運が良かった」と思う。

出発してすぐに、何とパワーショベルの重機が止まっていた。この辺りまで観光用の道を造るつもりらしい。

しばらく動いていないようだったが、予算が出ればすぐ動き出すだろうとのことだった。できればこのまま出ないでいて欲しいものだが。

Kailas2011small334出発して1時間。凍りついた小さな橋を渡り、雪原の道は登り坂になっていった。それまで日陰で寒かったが、この辺りからようやく陽が差してきた。途端に暖かくなり、快適に歩けるようになる。太陽は偉大だ。

雪は結構積もっていたが、新雪だったのでアイゼンが無くても歩きやすかった(勿論用意しているが)。

Kailas2011small343Kailas2011small346周囲は雲ひとつ、霞ひとつ無い大快晴。こんな日も珍しいんじゃないだろうか。

手前の山の右側にあったカイラスが左側に見える頃に小休止。

僕は昨日と同じく先に歩いて出発していたのだが、後から来るはずの馬に乗ったメンバーがなかなか来ない。

Kailas2011small349追いついたのは15分くらい経ってからだった。聞くと先程の凍りついた橋で馬が怖がってしまい、なかなか渡れなかったのだそうだ。

確かに滑りやすかった。仕方ないので一旦降りて歩いて渡ってもらい、馬だけで引っ張って引き寄せ渡らせたらしい。

雪の中を進むことはあまり無いらしく、結構手間取っているようだった。

Kailas2011small338早く目的地まで行ってしまいたいらしく、僕たちの荷物を積んだヤク一行が前を通り過ぎていった。

先程の凍った橋がきっかけなのか判らないが、一匹暴れ馬が出てしまったらしい。それまでこの馬に乗っていた人は、危険なので万が一のために余分に借りておいた別の馬に乗り換えたのだが、当然この馬が余ることになった。

しかしこの馬分の代金は支払っているので暴れ馬くらいでは勿体無いという話になり、どういう訳か僕が乗ることになってしまった。なんで?

一息ついたところで出発。実はまともに馬に乗ったのはこれが初めてだった。

初めての乗馬が暴れ馬というのも酷な話だが、乗ってみたら案外振り落とされることも無く多少バランスに気をつければ乗っていられないことはないくらいのものだった。まあ他の馬に乗っていないので麻痺しているだけなのかもしれないが。

Kailas2011small350Kailas2011small351すぐにテラス状になった突端の手前で傾斜がきつくなり、そこを登りあげると足跡もまばらな広大な雪原になった。

地図を見るとこの辺りが鳥葬場らしい。もし雪が積もっていなければ、人骨など転がっていたのだろうか。

Kailas2011small352振り返ると誰もいない。僕だけどんどん進んでいってしまったらしい。

暴れ馬らしく僕はバランスを取るのに必死で、後ろの事など構っていられなかった。

Kailas2011small354他の馬に影響を受けさせないための措置かもしれないが、このペースからして確かに暴れ馬のようだった。

ちょっと寂しい感じだが、一人旅のようで何となく気持ちが良い。カイラスは手前の山に姿を隠し、道はだんだん険しくなってくる。高度も急に上がり、流石にこの乗り難い馬の背もきつくなってきた。

しかし何度か降りてみることも考えたが、この高度で雪の中、この傾斜の坂を登りきるのは、それよりもきついだろうと思い留まった。

ずっと通しで歩いていたら体は慣れるだろうが、いきなりでは流石にハイリスクだ。

Kailas2011small360Kailas2011small384ちょっと我慢して馬の背に文字通りしがみ付きながら、峠への最後の難所を乗り切った。

ネパール時間で10:00、今回の旅での最高地点、ドルマ・ラ(5,668m)に到着した。

Kailas2011small358Kailas2011small382着いた頃は後続の皆さんは遥か彼方だったが、みるみる近くなり、20分もすれば皆さん元気に到着されていた。やはり馬は速い。

この峠越えは、今考えると本当に奇跡のような行程だったと思う。

前日まで吹雪だったため、他の外国人パーティーは登山口(チュク・ゴンパ)で引き返していたのだそうだ。

僕たちが歩いたこの日は運良く快晴だったうえ新雪だったため歩きやすく、降雪がある日ではとても珍しかったらしい。

さらに次の日になってしまうと、解けた雪が氷結し滑りやすくなってしまうので非常に危険だった。

まさに間を縫うように、この日だけ、ベストタイミングで峠を越えられたことになる。

さらに驚くのは、一緒に旅した方の友人達が集まって、日本で旅の安全をお祈りしてくれていたそうなのだが、なんとお祈りした日が丁度この日だったそうなのだ。

世界一の聖なる山だけに、こういったこともあるのかもしれない。

Kailas2011small367Kailas2011737smallみんな揃って一息ついた後、揃って記念写真を撮りお祈りを捧げる。結構積雪があったので、タルチョを張るのに手間取ってしまった。

Kailas2011small368Kailas2011small377そこにチベット人の女性が、雪の中を五体投地で登ってきた。前掛けを付け両手にも靴を履き、解脱を信じて冷たい雪の中を黙々と進んでいる。流石にサポートしている人が2人付いていたが、それでもこの過酷な場所で目にするのが信じられない光景だ。

Kailas2011small366Kailas2011small381僕らは予め用意していたサンドイッチとチャイで簡単な食事を取り、11:00には峠を出発した。

降りは比較的傾斜のある岩場がしばらく続いており、流石にここは馬では降れず全員徒歩で降った。足の悪い方がいたので、ガイドさんがゆっくりとサポートしながら降りていく。僕達もそれに続いて慎重に歩いた。

Kailas2011small386すぐ下のほうに、幅50mくらいの湖らしきものが見えてきた。氷と雪で覆われていたのですぐには気付かなかったが、近づくにつれ明らかに湖だと判った。

チベット人のガイド、クンチョク君が言うには、ここはグリーンターラーが住むとされている「ヨクモ・ツォ」という湖だそうで、ここがシャンバラの入り口の一つではないかと言われているそうだ。

Kailas2011small387_2「シャンバラ」とは古いチベットの古文書にも出てくる黄金郷、理想郷のことで、アトランティスやムー大陸と並んで幻の都の一つとされている地だ。

その古文書には子供(観音菩薩の化身)が出てきてシャンバラへと案内する、と書かれていて、最近チベット人がこの湖で子供が現れ消えていった、という目撃証言があったのだそうだ。

本当だとしたら凄い話だ。近付いてみたが、雪と氷と崖の斜面でとても湖面までは行けなかった。もし雪のない時期に行けたらぜひまたここに来てみたい。

Kailas2011small385Kailas2011small388湖を過ぎたあたりからなだらかな斜面になり、雪原の中を気持ちよく歩いた。

右手の断崖の上には包丁型の岩が乗っているのが見えた。これは鬼があの世で罪人の首を切る包丁なのだそうだ。この辺りも曼荼羅に例えた何か意味のある場所なのだろうが、雪に覆われていたし、詳しくは判らなかった。

Kailas2011small389Kailas2011small390雪原の先端まで来ると、また急な斜面になり先にうっすらと緑が広がる川原が見えた。この辺りから雪はだいぶ無くなってきたが、足元に少し残っていて滑りやすかったので慎重に降っていく。

ゆっくりと歩いたので15:00頃にキャンプ予定地に到着した。普通の足ならば14:00前には着いていると思う。

Kailas2011751smallこの日のキャンプ地は小川に沿った日当たりの良い開けた場所で、とても快適に感じた。過酷な場所からの開放感や峠を越えた安心感などがあったからかもしれない。

9日目に続く。

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2013年4月22日 (月)

2011年 チベット カイラストレッキング 7日目 カイラス/チュク・ゴンパ~ディラプー・ゴンパ

2011年6月2日。

7日目。6時に起床し、テントを出て皆の集まるチベット人の茶店へ向かう。

Kailas2011small277ここは車道の車道の終点で、徒歩による巡礼の起点となる場所らしく、チベット人が構える茶店の大きなテントが2軒建っている。

僕たちはこの店の一角を借りて、飲食できるようにしてもらっていたのだ。

天気はまだ雲が立ち込める生憎の天気だったが、真上には時折青空が見えるなど昨日よりは良さそうだ。

テントに入ると、参加者一名の体調が思わしくないらしい。今日と今後の予定と対応について話し合っているところだった。

その方は眠気が取れずすぐに寝込んでしまい、日常生活にも支障をきたしてしまうことになってきてしまったのだそうだ。

典型的な高山病の症状だった。高度順応日を充分にとってきたとはいえ、ここは標高4800m。山に慣れていない人はかかってしまっても何の不思議も無い場所だ。

高地の旅は、常にこういったリスクは付きまとう。知識と経験でいくらかカバーできるが、何度も高地に訪れている人であってもコンディションによってはかかってしまうこともあるのだ。

僕自身も人事ではない。まして罹った方は初めての高地、勝手も判らなくて当然だろう。

まだ苦痛を伴う症状が現れていないのが幸いだったが、すぐに低地へ降ろす必要があってもここから3日はかかる。その間ずっと4500m以上なので、早めの対処が必要だった。

簡単な朝食を食べながら相談した結果、チャーターしたランクル1台、サポートするスタッフ1名とドライバー1名を付け、先にダムへ降って待っていてもらうことになった。

そこでもまだ2350mあるが、ここまで降れば大丈夫だろう。最悪カトマンズまで降ればいい。

Kailas2011499_2せっかくここまで来たのに残念だが、命には代えられない。出発前に皆で記念撮影をし、その方のためにも必ず巡礼を成功させると約束して全員で見送った。

さて、僕たちもそろそろ出発しなければならない。

僕と主催者の堀尾さん以外の日本人は、全員馬を借りることになっていた。

馬の手配にはもう少し時間がかかるということで、僕と堀尾さんは先行して歩いて出発することになった。

どう考えても馬の方が早いので、少しでも先に進んで合流した方がスムーズだろうと判断したためだ。

荷物をまとめて、7:45には出発。

Kailas2011small279Kailas2011small280上流に向かって左手の崖の中腹に、ゴンパらしき建物が見えた。これがチュク・ゴンパらしい。昨日は薄暗かったため気が付かなかった。

カギュ派で13世紀に建てられた僧院だそうだがしばらく放置されていて、80年代後半に再建されたのだそうだ。

Kailas2011small273道に目をやると、チベット人らしい巡礼者が一心不乱に五体投地をしながら上流を目指していた。話はよく聞いていたのだが、この場所で実際に見るのは初めてだった。

五体投地(キャンチャ)とは、全身を地面に投げ打って(うつ伏せになって平伏す)身と言葉と心を仏法へ帰依を示すお祈りの方法で、チベット文化圏ではポピュラーなお祈りのフォームだ。

仏像や高僧の前でするのが普通なのだが、中にはこれでカイラスを一周したり、聖地巡礼までする者がいるのだから尋常ではない。カイラス一周に約16日。ラサからやれば約6年、1200キロもするのだそうだ。

もちろんサポートする側もいるのだが、いなければ荷物を積んだヤクを引きながら自分で全てこなさなければならない。いずれにせよお金もかかるのだ。

ここまでして苦行をする彼らの信仰心は僕の想像をはるかに越えてしまっていて、ただただ恐れ入るばかりだ。

Kailas2011small282Kailas2011small286出発してすぐ道は細くなり、巡礼の道らしくなってきた。傾斜はあまりなく歩きやすいが、昨日の雪が少し積もっていたので慎重に進んでいく。真上には青空が出ているが、向かう先は霞んでいて吹雪のようだ。

今から心配しても仕方が無いが、変わりやすい天気に期待するしかない。

Kailas2011small284Kailas2011small2871時間ほど進むと両側が巨大な1枚岩になった。向かって右側の奥にはうっすらともう一つ岸壁が聳えている。

地図を見るとどうやらこれはカイラスの一部らしいが、吹雪いているせいかあまりよく見えなかった。

Kailas2011small285Kailas2011small288さらに進むと視界が開け、山に囲まれてはいるが大きな広場のような場所に出た。

そこにも例の茶店の大きなテントが2つ建てられていた。

時計を見たら時間は11時前だった。歩いている間に後発隊が追いつくと思ったが、遠くを見ても来る気配が無い。良い時間だったのでこの茶店で休憩し、皆さんを待つことにした。

Kailas2011small290上流へ向かって右手のテントに入ると、中ではチベット人の女性が一人だけいてバター茶を作っているところだった。

細長い筒の中にヤクのバターとミルク、塩を入れて攪拌している。先日書いたように決して美味しいものではないのだが、高地ではなぜか欲しくなるのだ。

テントの中は結構暖かかった。先程のバター茶を頼み1時間ほど待っただろうか。向こうから小さく馬を引く一団が近付いてきた。目を凝らすと後続の方々のようだ。

Kailas2011small289Kailas2011522_2日本人全員が馬に乗り、チベット人やガイドさんが横を歩く姿は、さながら豪商のキャラバン隊のようだった。

皆さん無事に辿り着いたのでまずはひと安心。やけに時間がかかったので聞いてみたら、馬が人数分なかなか集まらなかったらしい。また、僕たちの荷物を運ぶヤクの手配もしていたようだ。

一同テントに入って同じように皆さんにバター茶を振舞い、一息ついたらすぐにまた出発。

外は雪が舞い、風も強くなってきたので早めに目的地へ向かうことにしたのだ。

道は思ったより広く、傾斜もあまりなく歩きやすかった。時々車道のように意図的に広げた場所もある。後々車を入れるつもりなのだろうか。

大きく川に沿って右へ曲がって伸びている。風もさらに強くなり、吹雪のようになってきた。

その中を黙々と2時間くらい歩いたと思う。視界はあまり無かったが、目前に小さなロッジ風の建物と大きなテントが幾つか張られた集落が現れた。どうやらこれがディラプーゴンパ前の宿らしい。周囲は吹雪のため何も見えなかった。

気温も低かっただろう。テントの前はぬかるんでいたようだが、今はガチガチに凍り付いていた。

すぐにテントに入ったのは午後1時過ぎ。暖を取りながら昼食を取った。

Kailas2011small305Kailas2011small306今日の日程はここまでだったので、外が吹雪いていても問題ない。明日の日程だけが心配だった。

地図を見るとディラプー・ゴンパが川を挟んだ対岸にあるようだ。このお寺は13世紀に建てられたそうで、ディラとは「牝ヤクの角」のことでそれにまつわる伝説があるらしい。ここからのカイラスの眺めは素晴らしいそうで、ここに寺を建立する気持ちもわかる気がする。吹雪が止むのを祈ろう。

Kailas2011small292Kailas2011small293昼食を済ませしばらく中でのんびりすることになった。ここの宿は家族で経営しているようで、子供も一緒に住んでいた。ここは標高5,210mの極寒の地(外はよほど寒いのだろう、小鳥も一羽入ってきていた)にも関わらず、外や中ではしゃぎ回っている。その度にテント入り口のシートがめくれるので、その都度僕たちが寒さで震えることになる。

いいかげんしにてくれ、と思い始めた頃、外の視界が晴れ始めたとガイドさんの声が聞こえた。

現金なもので打って変わって寒さを気に留めず、僕たちは外に飛び出した。カイラスを見るために、ここまで来たのだから当然だろう。

Kailas2011small303Kailas2011small304テントの脇から小さな高台に登ると、目の前に巨大なカイラスが、見たことのある姿で聳え立っていた。

まだ山頂付近が雲に覆われていたが、威厳に満ちた姿を知るには充分だった。

Kailas2011small297Kailas2011small298周囲の山々とは明らかに違う孤高の独立峰。太古からこの山が神聖視されてきた理由が良く判る。

宗教上誰も近付けないので定かではないが、聞くところによるとヒンドゥーの行者やチベット密教の修行僧が、1000年を越えて今も生きてこの山に暮らしているらしい。

Kailas2011small307_2Kailas2011small311また伝説では、吟遊詩人で行者ミラレパが山頂に行ったと古文書に書かれているが、定かではない。

黄金郷シャンバラの入り口とされるなど、数多くの伝説に彩られた神秘の山なのだ。

ヒンドゥー教ではシヴァの住む山。

Kailas2011small319Kailas2011small316仏教ではその宇宙観がそのまま地上に現れた曼荼羅で、カイラスは大日如来(仏陀)で周囲の山々は菩薩や神々とされている。

ボン教では開祖シェンラプ・ミウォが天から降り立った地とされ、ジャイナ教では開祖が悟りを開いた場所とされているそうだ。

因みに日本人で初めてここを訪れた人物は河口慧海。明治時代の修行僧だ。今もこの人が書いた旅行記が書店にも置かれている。

僕たちは風も寒さも忘れ、しばしこの偉大な山の姿に呆然としていた。

Kailas2011542_2Kailas2011557_2そのうち我に返ったように歓声が挙がり、各自記念写真を撮る者、般若心経を唱える者、それぞれ自分の思う形で感動を伝えようとし始めた。

ひとしきり感動が終わる頃に日が暮れてゆき、カイラスの姿も霧の中に隠れてしまう。

まるで僕たちの為にわざわざ姿を見せてくれたかのようだった。

8日目に続く。

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2013年2月 7日 (木)

2011年 チベット カイラストレッキング 6日目 マナサルワール湖~カイラス/チュク・ゴンパ

2011年6月1日。

6日目。夜中に強い風とテントに打ち付ける雪の音で目が覚めた。チベットに来て初めての荒天だ。

嵐は朝方まで続き、明るくなった頃急に静かになった。波音も聞こえない。外した腕時計には温度計も付いていて、気温はテントの中でマイナス5度だった。

午前7時。外ではスタッフ達が朝食の準備を始めている。そろそろ起き出さなくては。シュラフを出るのが流石に辛くなってきた。

ふとカサカサ、と物音に気付いた。見ると入り口の辺りに小さな小動物がちょこちょこと動いているではないか。

Kailas2011small227Kailas2011small231靴と比べると10cmもないだろうか。小さなネズミが辺りを嗅ぎまわっていた。
よくネパールヒマラヤではバッグに入り込み食い荒らされるというのを聞いたことがあるのだが、ここは標高4500mのチベット。そんなネズミはいないだろうし、見ればハムスターのようなかわいい動物だ。

なんでこんな所に出てくるのだろうとそっと観察していたら、靴の脇に小さな穴が開いていた。どうやら丁度ネズミの住処の出入り口にテントを建てたようだ。

警戒心が強いようで、僕の立てたちょっとした物音ですぐに隠れてそれきりだった。

やけに外がしん、と静まり返っている。着替えて外に出てみると、その理由はすぐに判った。うっすらと雪が積もっていたのだ。なるほど、ネズミの住処も出入り口がたくさんあるはずなのだが、僕のテント以外は全て雪で塞がれていたのだ。

カイラスは残念ながら厚い雲に隠れてしまっていた。だが僕らの周囲は幸い雲が無くなり、日差しが照り始めた。途端に雪がみるみる消えてゆく。30分としないうちに昨日と変わらない乾いた風景に戻ってしまった。

Kailas2011424s朝食を待っている間、メンバーの一人宮本さんがヨガをやっているとのことで、準備運動と高度順応を兼ねて軽くストレッチの講習をしてくれた。

宮本さんはネパール人と結婚して、ポカラで「マムズガーデンリゾート」というホテルを経営している方なのだ。僕もポカラを訪れる際は必ずこの宿を利用している。居心地の良い場所だ。

朝食を済ませ荷造りをしたらすぐに出発。出発前にカイラスがうっすらと顔を出してくれていた。

Kailas2011small239Kailas2011small240ランクルは段差の無い平らな砂利道を進んでいく。右手は巨大な湖の水平線があり、正面はヒマラヤの巨大な山々が連なっている。後で調べたらナムナニ峰(7,694m)という山だそうだ。

1時間ほど進むと、マナサルワール湖の南端に着いた。湖岸には小さな寺院が見える。トゥゴ・ゴンパというらしい。

車道は湖から少し離れ、西の丘の上に続いていた。登り坂に差し掛かる前に車を停めトイレ休憩。

Kailas2011small244車を降りるとガイドのクンチョクさんが指を指している。見ると綺麗な馬の集団がいるではないか。

なんと野生の馬なのだという。この辺りでは相当数生息しているそうだが、目視で見ることができるのは大変珍しいことなのだそうだ。昨日のカイラスといい、これは幸先が良さそうだ。

Kailas2011small250Kailas2011small251丘の上には小さなタルチョを飾る杭が何本か立っていた。反対側にも大きな湖が広がっている。この湖はラカス・タル(チベット名ランガク・ツォ)といってマナサルワール湖とも繋がっている美しい湖なのだが、現地では悪魔の湖とも毒水の湖、鬼湖とも言われひどい扱いをされている。近くには行かなかったのだが、見たところ普通の綺麗な湖なのだ。

一体どんな経緯でこう呼ばれるようになったのだろうか。恐らく歴史的に何かしら事件などがあったのだろうが、本当に不吉なものが眠っているのかもしれないし、あるいはもしかしたら大事なものが湖底に隠されていたりするのかもしれない、といろいろ考えてしまう。

道は丘を越え、ラカス・タル方面へ降るとすぐに舗装道路に出た。今までの揺れは何だったのかと思うほど、車内は静かで快適な空間に変わった。ここはチベットのはずなのだが、つい日本の車道を走っているような感覚になってしまう。

有難いは有難いのだが、中国がそうしていることを思うと複雑な気持ちになってくる。環境破壊などもこれから増えてくるのだろうか。

30分ほどひた走ったところで、今までの車道から右折し砂利道に入っていった。

Kailas2011small257Kailas2011small255すぐにマナサルワール湖が見えてくる。地図を見ると今朝居た場所の反対側、西側の湖畔に着いたのだ。湖に面した所に、ぽつんと一つ岬のような小さな岩山が見える。岩山の頂には寺院が建てられていた。

Kailas2011small260この寺院はチュ・ゴンパといって、チベット仏教創始者パドマサンババ(グル・リンポチェ)が亡くなる前の7年間を過ごしたとされる洞窟が今も残っている。

道は南側だったが入り口は反対側らしく、ランクルは道から外れ道無き道を寺院を回り込むように登っていった。見晴らしの良い小高い丘に車を停め、チュ・ゴンパへ歩いて入っていく。

Kailas2011small253元は小さかったのだろうが、聖地らしく何度も継ぎ足して建物を建てたらしく内部は迷路のようになっていた。住居らしき建物の隙間を縫うように奥に入ると、右手に小さな洞穴があった。人が5人入れば一杯になるくらいの大きさだ。ここがパドマサンババが過ごした場所らしい。

古い小さな仏像が置いてあったのでお参りをし、彼が残したとされるマナサルワールから持ってきた石に額を当てお祈りをさせていただいた。実際のところどうなのか不明だが、この辺りには聖者の残したとされる石や洞穴が数多くある。

洞穴を後にし、寺院の本殿に伺った。立派な仏陀とパドマサンババ像が鎮座され荘厳な雰囲気だ。僕たちは器に油を満たし紐を入れた簡素な蝋燭に火をともし、一人一人お祈りをした。

Kailas2011small262Kailas2011small252寺院を出ると、眼下にオアシスのような水場と集落が目に入った。なんとここには温泉が湧いているのだそうだ。ちゃんと入浴できる施設も作ってあるとのことで、昼食後に入浴し汗を流すことになった。

パドマサンババも終の住処にこの場所を選んだのは、この温泉が湧いていたからなのだろうか。

昼食は集落の一角にある住居をお借りしていただいた。中は薄暗いがとても暖かい。チベット人も常に厳しい環境に生きているわけではなく、ちゃんと居心地の良い場所も造っているのだ。もっとも、この辺りはまだ裕福なエリアなのだろうが。

昼食後、早速温泉へ。昼食の住居前からすぐ下に降りた川原岸にある。ここで、メンバーの一人に体調不良を訴える方が出た。症状を聞くと高山病の症状だった。

眠気が酷いだけで辛いわけではないそうなのだが、大事を取ってこの方は温泉を控えるようにした。僕も付き添いなので控えることにする。温泉に入れないのは残念だが、安全が第一だ。

入ってきた皆さんの話を聞くと、丁度良い湯加減で浴槽は清潔だったそうだ。ビニールを借りて浴槽に沈め浴槽をコートするようにして入らせるため、浴槽を傷めないらしい。うまく考えたものだ。

僕と一名を除き、さっぱりとした体で一路カイラスへ出発。いよいよだ。

カイラス巡礼は、ここから30kmほど北西へ車を走らせたところのダルチェンという街から始まる。

途中2ヶ所検査站を抜け、2時間ほどかけてこの街に辿り着いた。ずっと綺麗な舗装道路だった。

ダルチェンは何も無いチベット平原に忽然と現れた大きな街のように見えた。メイン通りはそれなりに店があり賑わっている。こんなに多い人々を見るのは久し振りだ。

だが、ガイドブックに載っているダルチェンの地図と比べると、街はまるきり様変わりしていた。大規模な区画整理が進められているらしい。これからダルチェンを訪れる人がいたら、地図は当てにしないほうがいいだろう。

町外れには公安があり、ガイドさんは許可証のチェックをしてもらいに行った。何をチェックしていたのか知らないが、1時間ほど待たされた。聞いたら日程、コースのほか食料までいろいろチェックされたらしい。何をそんなに気にするのだろうか。

とにかく許可が下りたので、いよいよカイラス巡礼の入り口まで出発。本来はこの街から歩き始めるのだが、今回はもう少し先のチュク・ゴンパまで車で向かう。

道は何とか車が通れるが、あまり整備されていない(というか最近無理矢理車道を作ったようにも見える)山道のような荒れた道だ。ランクルやトラックでないととても走れないだろう。

Kailas2011small268荒れた道を進むこと1時間。大きなポールが立ち、そこにたくさんのタルチョがはためいている広場に着いた。

他の聖地でもタルチョを供える場所はあるが、これほど大規模なタルチョは見た事がない。それだけ特別な聖地ということなのだろう。

ここは「タルボチェ」というところで、チベット暦4月の満月の日に、お釈迦様の誕生と悟りと入滅を祝う「サカダワ祭」という祭りを執り行う場所だそうだ。

Kailas2011471s僕たちもここでタルチョを供えた。外は雲行きが怪しくなり、風雪が舞ってきていた。太陽が無いと途端に寒くなる。

再び車に乗り込み奥へと進んでいく。15分くらい走っただろうか、左右には断崖が聳えてはいるが辺りは広くフラットな場所に出た。川原なのだが、丁度小石が堆積してできた広場のようだ。

ここで車は進入禁止。ここからは徒歩で入山する。実質ここがカイラスの登山口だ。
今日はここで宿泊。辺りはすでに雪が舞い薄暗くなってきた。近くにチュク・ゴンパがあるはずだが、この日は見つけられなかった。

Kailas2011small269現地のチベット人が巡礼者のために立てている休憩用のテントの中で暖を取りつつ、軽く夕食を食べて早々に自分のテントに戻りシュラフに入った。川原のため床の石がゴツゴツしていて寝辛かったが、長い1日だったせいか直ぐに眠りについてしまった。

明日はいよいよカイラストレッキングだ。

7日目に続く。

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2013年1月20日 (日)

2011年 チベット カイラストレッキング 5日目 バルヤン~マナサルワール湖

2011年5月31日。

5日目。今日はようやくカイラスの麓の湖、聖地マナサルワール湖へ辿り着く日だ。

チベット高原をひた走って3日目ともなると、いい加減何も無い風景に飽きてくる。そろそろ、変化のある景色が恋しくなってくる頃だ。

早々に朝食を済ませ、荷物をまとめて車に乗り込む。

Kailas2011small190Kailas2011small191_2車道は相変わらず地平線に舗装された車道が延々と続いている。見たところここも出来たばかりの舗装道らしい。以前は砂利道もいいところの荒野を走っていたのだから、その頃に比べたら本当に楽にカイラスへ行けているのだと実感できる。

Kailas2011small1933日目でマナサルワールというのはちょっと前までは考えられなかったそうだ。

優に5日はかかっていたと聞いて、それだけで腰が痛くなりそうだった。

しばらく行くと登り坂になり、少々息苦しくなってきた。気圧の変化も何となく判る。

すると小さな峠を越えた。聞いたらマユム・ラという峠で、標高は5,200mあるとのことだった。

先日も5,000m以上の峠を越えたが、それまで4,300m付近を走っていたとはいえ、高山帯では少し標高が上がると急に苦しくなってくる。車だから良いが、歩いていたらかなり苦しかったろうと思う。

幸いすぐに下り坂になり、標高は4,000m台に戻った。

すると前方左手に大きな湖が見えてきた。これがマナサルワール湖かと思ったが違っていた。

クンギュ・ツォという湖だそうで、近付いてみたらそんなに大きくない。だが道沿いに細長く、この湖が終わるとマナサルワール湖が近いそうだ。

Kailas2011small199Kailas2011small196_3湖を見ながらしばらく進み、また元の平原に戻り小さな丘の上に行くと、タルチョがたくさん飾られた場所に出た。検査站(チェックポイント)があるところを見ると、どうやらここが湖の入り口らしい。よく見ると先のほうに海のような水平線が見える。

Kailas2011small198Kailas2011small203ここでランクルを降り、皆で記念撮影と持ってきた新しいタルチョを取り付けた。

巡礼らしいチベット人のグループもここでカイラスの方向へ五体投地をしている。ここも聖地の中にある巡礼ポイントの一つなのだろう。

僕らもひとしきりお祈りを済ませ小休止したあと、いよいよ湖へ向かった。

道は舗装から急に荒れた道へ変わり、凸凹の道を慎重に進んでいく。水平線は見えるのだが、なかなか到着しない。

Kailas2011small205Kailas2011small209小さな検査站(チベットの若い女性が2人でチェックしていた)を抜け丘を登ると、急に目の前に巨大な湖が広がった。ようやくマナサルワール湖に着いたのだ。

車はそこから直ぐの湖のほとりに止まった。テントを張るには丁度良い場所で、ここで今日は宿泊することになった。

時間はまだ昼を過ぎたばかりだった。ネパール人のポーターやキッチンスタッフ達は早速テントを張り、昼食の準備を始めだした。

食事までの間は各自自由時間。僕を含む殆どの人は、湖を見つめただただボーっとしていただけだった。

Kailas2011small208とにかく大きい。海のようにも見えるが、高地のため周囲に緑は無く雲が近く早いため、不自然なほどの神秘的な風景がいっそう際立っている。

人工物は僕たちのもの以外には何もない。大昔から聖地とされてきた理由が判るような気がした。

Kailas2011small217Kailas2011small221マナサルワール湖は、チベット名でマパム・ユムツォといい、ヒンドゥー教ではシヴァ神の妻でヒマラヤの女神パールヴァティが住む湖とされ、チベット仏教では文殊菩薩が住むとされる聖なる湖だ。マパムとはチベット語で「征服されない」という意味らしい。

どうやって調べたか知らないが、海抜4,588m、最大深度81.8m、周囲約140kmの淡水湖だそうだ。琵琶湖の3分の2くらいの大きさだろうか。

Kailas2011small223ヒンドゥー教徒にとっては特に聖地とされているそうで、訪れた信者は必ず沐浴している。あのマハトマ・ガンジーの遺灰はここに撒かれたのだ。

雲は低く、速い。対岸の方で雪雲が雪を降らせているのがはっきりと判る。そのうちその雲はこちらに近付いてきたかと思うと、辺りは急に吹雪になった。

そうかと思うと、10分後には雲はどこかに消えてしまい元の穏やかな日差しの湖が広がっている。高地の特徴の例に漏れず、ここも目まぐるしく天気は変わる場所なのだ。

Kailas2011small220Kailas20113572度目の晴れ間だったろうか、ここから見るマナサルワール対岸の右手にぽつんと突き出た目立つ独立峰が見えてきた。徐々に特徴的な姿がはっきりと現れてくる。間違いなくカイラス山だ。

何度も訪れているガイドさんによると、この時期なかなか見えることが無いらしく本当に珍しいとのことだった。

Kailas2011367すかさず僕たちは並んで記念撮影。思いもよらず素晴らしい写真を撮ることができ皆さんは大歓声。しかし記念撮影だけでは飽き足らなかったのか、皆さんは何と薄着になり、湖の中へ入っていくではないか。

せっかくなので沐浴を決行するそうである。夏とはいえここは標高4500m、昼間でも気温10度もいっていない酷地なのにだ。当然水温も相当冷たいはずだ。

流石に僕はカメラを持っていたので膝下までしか浸からなかったのだが、足が痛いほど冷たくてすぐに感覚が無くなってきた。

固まる僕をよそに皆さんは一息にばちゃばちゃと肩まで浸かっていく。

勢いとは怖いものである。僕はカメラを持っていなかったら、浸かっていただろうか。その後直ぐに着替えたせいか、皆さんは風邪をこじらせることもなく元気に昼食を取っていたのが幸いだった。

午後になると徐々に風が強くなり、晴れてはいたが体感温度は急に寒くなった。

Kailas2011small225この日は一日、各自思い思いに過ごすことにした。

僕はというと友人から「マナサルワールとカイラスの水に浸けてくれ」と頼まれアクセサリーを預かっていたので、そのようにしてお祈りし、証拠写真(笑)を撮ったりなどしていたら、あっという間に日が暮れてしまった。

6日目に続く。

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2012年9月19日 (水)

2011年 チベット カイラストレッキング 3日目 ニャラム~サガ

2011年5月29日。

Kailas2011small082Kailas2011small084  この日の天気は、朝から幸先良く晴れ渡っていた。ニャラムに着いて以降ずっと曇り空だったのでなんだか違った街に見える。

炊事場で早めの朝食の後、ランクル4台にそれぞれ分乗。ネパール時間8:00に宿を出発した。

Kailas2011small086Kailas2011small088  ニャラムを出てしばらく登り坂を走る。道はずっと広く全く段差の無い快適な舗装道路だ。

中国はこんな辺境までちゃんとした道を伸ばしている事実に、改めて驚かされた。

後で聞いた話だが、中国が何も無いチベット高原にここまで道を造っている理由は、一つは景気の良いうちにできるだけ交通網を発達させたいからということと、もう一つはチベットで内乱が起きた際に早く駆けつけられるようにするため、ということだった。中国のチベット統治はもうかなり深いところまで進んでしまっているようだ。

Kailas2011small089 ただ、現地で生活している人々が便利になったのは間違いなく、それまで原始的な生活をしていた村々も物資が入り、生活スタイルもかなり変わってきているように見える。

道路舗装の仕事も現地の人々が請け負っており、仕事ができて暮らしが豊かになったと思えば、なんだか悪いことだけでもないような気もした。チベット文化への侵食を棚に上げれば、の話だが。

差別や迫害も未だにあるというし、アメムチだけでどこまでチベットの人々を懐柔できるのだろうか。

やがて車道は直線が多くなり、右手には巨大なヒマラヤ山脈が広がり始めた。時々小さな村を通り過ぎてゆく。

綺麗な舗装道路とその村々の以前と変わらないようなのどかさが、ひどく対照的だった。

再び道は坂のカーブの連続となり、峠にさしかかっていった。ニャラムを出て以来、樹木は一切見かけない。

低い草地は時々見かけるが、この辺りまで来ると遥か彼方まで荒涼とした砂漠地帯が続いている。

代わり映えしない景色が続くが、高度だけはどんどん上がってゆき、少しづつ彼方のヒマラヤ山脈が見えてきた。

Kailas2011small093Kailas2011small095  南の方に雄大なシシャパンマ(8,012m、初めて日本人が登った8,000m峰)が見え始めたところが、ラサ~カトマンドゥ間での最高地点の峠、タン・ラ(5,050m)だ。9:15に到着。ここでランクルを降り、記念写真を撮ることにする。

流石にたった3日目で5000mへ行くと息苦しい。車だからできることで、歩きならばとっくに高山病になっているところだろう。あまり負担の無いように、ゆっくりと体を動かすようにした。

Kailas2011small104Kailas2011small105  外に出ると風が強い。峠の周辺はたくさんのタルチョが張られており、それが勢い良くはためいている。それだけ人々の往来が多いことを物語っていた。

周囲は360度荒涼とした大地が広がっている。南側は先のシシャパンマを始め、ヒマラヤ山脈の高峰がずっと先まで連なっていた。知っている山もあるのだろうが、どれがどの山なのか反対側からだと判らない。

Kailas2011small098Kailas2011small106  この場所からだと、ヒマラヤの山々が「ちょっと小高い山」くらいに見えるのが不思議な感じだった。

ネパール側では深く切れ落ちており、見上げるようで迫力があるのだが、同じ山でもチベット側は5000mから見渡すので迫力は無く普通の山に見えるのだ。

Kailas2011small094 峠には小さなテントに人が住んでおり、お土産屋のようで辺りで拾った化石などを並べて売っていた。アンモナイトの化石が多い。ここが海の底の時代があったなんてといつも思う。

はためくタルチョのなかから丁度良い場所を見つけて、僕たちも用意してきたタルチョを張った。

タルチョは旗それぞれにお経が印刷されていて、風にはためかせることで風に乗せてお経を自然の神々にお供えする、というものだ。いろいろな意味があるが、今回はヒマラヤの神々に旅の安全をお祈りさせていただいた。

Kailas2011small108 峠のゲートを見ると、どこから来たのかチベットのお婆さんが立っていた。周りを見ても土産屋の兄ちゃんのテント以外集落は無いので、このお婆さんはどこからか一人で歩いてきたことになる。

いちばん近い下の集落は僕たちでも丸一日かけて着くかどうか、くらいの場所だ。本当にどこから来て、どこへ向かうのだろうか。話しかけてみたが、チベット語なので何を話しているのか皆目判らない。

Kailas2011small102 そうこうしているうちに、後発の僕たちの食材やテントなど物資を積んだトラックが追い越していった。これを合図に、僕たちも車に乗り込み峠を後にした。

道はタン・ラから2,3キロほどフラットが続いた後に、カーブの多い下り坂に変わった。

Kailas2011small111Kailas2011small112  ここの峠は広い丘のような場所だったようだ。しばらく降っていき、勾配が緩くなってきた辺りで車は左へ折れ、ラサへの道から外れて砂利道へ入っていった。

砂利道と入っても荒れているわけではなく、綺麗に整地されていたので舗装は時間の問題かと思われた。もう今頃は舗装されているかもしれない。

数年前まではこの辺りもずっと荒地で、スピードを出せるわけも無く車の揺れに耐えながらカイラスへ向かったのだそうだ。

極度の乾燥で一度車が通ればしばらく前が見えなくなるほどの砂埃だが、以前に比べたらここもずいぶん良くなったようだ。

Kailas2011small113Kailas2011small114  途中チェックポストの前後だけ綺麗に舗装された場所があった他は、この日の宿泊地サガまでずっとこのような砂利道だった。

見渡す限り、360度小山と荒地と空。話は聞いていたが実際に見てみるとやはり違和感がある。緑がひとつも無いのだ。標高は4000m以上あるので寒いはずなのだが、車の窓から当たる直射日光は真夏のそれだ。

浮いている雲は近く、動きが早い。平地なので一見低地にいるような錯覚があるのだが、すぐ上に流れる雲が高い場所にいることを教えてくれている。

Kailas2011small121Kailas2011small120  時折ヤクや羊、ヤギなどの集団を横目でみる。人と一緒に歩いているところを見ると、こんな所でも放牧されているようだ。人間の住居はどこにあるのだろうか。

かすかに緑が見えてきた。少し行くと湖があるようだ。そう思った辺りにたった1ヶ所、ぽつんとドライブインのような場所があった。ここに入って昼食。

Kailas2011small127Kailas2011small122  通されたダイニングは清潔だった。しかし食事は、僕たちが麓で用意したものだ。連れて来たコックさんがここの厨房を借りて作ってくれていた。

ここの食事もあるにはあるが、材料が不足していて人数分の用意ができなかったのだそうだ。聞けば前後100キロ町も無いのだそうで、買出しもなかなか行けないらしい。

Kailas2011small124 ただ、ここの女性ができたてのバター茶を振舞ってくれた。これがなかなか美味しい。日本では恐らく飲めたものではないのだろうが、乾燥した高地で飲むこのお茶は格別だった。きっと体が欲しているのだと思う。

僕も高度障害こそ出ていないが、人間は普通高地に慣れるまではその場所にいるだけで体力を消耗していくのだ。

お腹も落ち着き水分も潤ったところで、13:00出発。

Kailas2011small134 出発してすぐ右手に、大きな湖が現れた。ペンクン・ツォ(4,591m)という湖らしい。

意外かもしれないが、チベット高原は高地に関わらず湖が多い。しかもそれぞれがかなりの大きさだ。なぜこんなに多いのかは今もって謎らしい。ただ塩湖が多いそうで、生活にはまず役に立ちそうにない。

Kailas2011small138Kailas2011small136  何も無い平原と、遠くに山々、近くに漂う雲と青空。真ん中に澄み切った湖の水平線が横たわった絵はいっそ潔い。木がないというだけなのだが、この開放感はここに来ない限り味わえない気がする。

遠くでは小さな竜巻が、幾つも沸いていた。

Kailas2011small140Kailas2011small141  車道は湖が見渡せるくらいに高度を上げ、湖と離れ小さな集落を通り過ぎた。

そこから小さな峠を越え、しばらく走ると広い川原に出た。川原を走っていると右手に町のようなものが。

Kailas2011small142 一旦通り過ぎるが、橋を渡って回り込むようにいくと、チベットではかなり大きそうな街に入っていった。

ここがサガという街らしい。チベットのサガ県の県府だそうで、政府庁舎もあり中央部は結構活気がある街だった。インドからのツアー客もここに宿泊しているようだ。

Kailas2011small144Kailas2011small145  僕たちはここをそのまま素通りし、30分ほど離れた人気の無くなった川沿いの広場で車を泊めた。

今日の宿泊地だ。16:00に到着。

今夜はここにテントを張る。キャンピング生活の始まりだ。

4日目に続く

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2012年8月31日 (金)

2011年 チベット カイラストレッキング 2日目 ニャラム滞在

2011年5月28日。

Kailas2011small067 宿泊したニャラムの宿は名前もそのまま「ニャラム招待所(漢字が判らない)」といって、人民政府庁舎のすぐ隣にあり結構立派な建物だった。部屋もなかなか清潔だ。ポットにお湯も入っており、寒いが手洗いや洗顔も快適にできる。

僕たちは高度順応のため、ここに2泊する。本当はもう少し低い場所から始めた方が良いのだが、チベットではこの高度(3.750m)でも低い方なのだ。

Kailas2011small069 建物は違ったが、同じホテルに宿泊していたインド人パーティは早朝に発ってしまった。高度障害など大丈夫なのだろうかと心配したが、ナワンさんによるとかなり予算を切り詰めたツアーで、日程もぎりぎりに組んでいるのだそうで、無理をしてでもカイラスへ行きたい人たちらしい。

彼らにとっては宗教が全てだから、現地で死んでも構わないという覚悟で行っているのだそうだ。ニャラムから先はいきなり5.000mの峠を越え、その先はずっと4.000m台の高地なので高度順応していないとかなりきついと思うのだが。

Kailas2011small078 朝食はホテル脇の炊事場の中でした。同行した方々の殆どは高地が初めてだったので、いきなり現地の食べ物を食べるのではなく、スタッフのコックが食べやすく工夫した食事が良いと判断したのだ。

野菜などは昨日のうちにスタッフがニャラムの店から新鮮なものを調達してくれたらしく、量も多くて美味しかった。

朝食後、山歩きの装備に着替えて街の周辺を散歩することになった。

効率良く高度順応するためには、停滞日もひとところにじっとしているのではなく、昼間のうちは外へ出歩いて体を動かしていた方が良い。たった数時間でも、より高い場所に歩いていってまた戻ってくれば結構違うのだ。

Kailas2011small052Kailas2011small054  民家の脇から入り集落の外れへ登っていく。家々の壁には至る所にヤクの糞が丸められた形で貼り付けられていた。ネパールでも良く見た光景だったが、これほど多い光景は初めてだ。この糞は乾燥されたあと、暖炉や炊事の燃料として利用される。それほどこの場所が何も無いということなのだろう。

Kailas2011small056Kailas2011small057  少し登ってマントラの彫られた大きな岩を過ぎると辺りに建物はなくなり、小さな木々や草花が散在するだけの場所に変わった。

この時期のチベットは夏なのだそうで、この辺りはこの時期だけかわいい小さな花々がちらほらと見ることができた。高度が低ければそれなりの大きさに育つはずの木々や花々なのだが、ここではそこまで育つことができない。それでも懸命に子孫を増やそうとしているのだ。

Kailas2011small060Kailas2011small062  ダムから伸びている車道を横断しもう少し上の方まで行ってみる。丘の中腹辺りで休憩し、そこから町外れに向かって斜めに降りていった。本当は丘の頂まで歩きたかったが、いざ登り始めてみると目的の場所ははるか先だということが判ったのだ。

Kailas2011small068Kailas2011small066  再びニャラムの集落に入っていく。辺境の街とはいえ国境と接しているだけあり、建物はそこそこ整ったものが多かったように思う。

だが民家の壁には至る所に牛糞が貼り付けられている。この辺りが厳しい環境の場所だということを教えてくれていた。

Kailas2011small079Kailas2011small075  街のお寺から宿に向かって戻る頃は、結構街の人々とも接することができた。当然かもしれないが、集落に入るまでは人の気配はまるでなかったのだ。

子供や男性は普通の姿だったのだが女性はチベットの民族衣装を着て、装飾も綺麗に着飾っている人が多かった。どこも女性はお洒落に気を使うらしい。

昼過ぎに再び宿に戻った。そこからは自由行動。

Kailas2011small076Kailas2011small065  とはいえ標高は3,700m。初めて高地へ訪れる方々には、気ままに動き回るには少々きつい環境だ。各自宿の部屋でのんびりと過ごしていたようだ。

僕は一人で街中へ繰り出しインターネットカフェを探した。

メイン通りに面した箇所に何件か見つけたが、どこも小さく5~6台のパソコンをシェアして使っている程度だ。2件目でようやく1台空いていたのですかさず使ってみる。

残念ながらフェイスブックは開けなかった。中国らしく検閲で止められているらしい。

何とかyahooは開けたので、メールチェックだけに。送信すればスクリーミングされ、プライバシーが筒抜けになってしまうかもしれないので、返信は控えるようにした。

明日からはいよいよ本格的なチベット高原へ。10日後、ここに戻ってくるまではずっとテント生活だ。

3日目に続く。

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2012年8月 4日 (土)

2011年 チベット カイラストレッキング 1日目 カトマンズ~ニャラム

2011年5月27日。

 早朝4時半にカトマンズのホテルを出発した。今回はネパールの旅行会社「NJSトレック」のツアーだったので、中型のマイクロバスを1台チャーターした。
 僕はささやかながら日本でネパール雑貨店を営んでいる傍ら、この「NJSトレック」の窓口もさせていただいている。
 今回は僕のお客様ではなかったのだが、カイラスという到達困難峰へ行くにあたり、無理を言って同行させていただくことにしたのだ(勿論費用は負担しています)。
 次回はいつ行けるか判らない。費用の面だけでなく、チベットが政治的な面でも極めて流動的であるからだ。60年前の中国軍の侵攻(向こうは開放と言っているが)の影響は、いまだにチベットに深い傷を負わせているのだ。

 人数は日本人10人、ネパール人3人。ラサの旅行会社に連絡を取って、国境で合流する予定のチベット人が6人いる。
 バスには食料や燃料、テント一式などの荷物も一緒に乗せている。途中で補給する町は何箇所かあるとはいえ、13日もの間(途中3泊ほどロッジに泊まるが)この人数がキャンピングするとなるとかなりの量だ。

 バクタプルを過ぎた辺りから辺りが明るくなっていく。時々霧の中を走るが、概ね天気は良さそうだ。
 僕たちは大昔から交易の道として使われていた、カトマンズからラサへと向かう道を走っていく。昔からの道とはいえ、ネパール側は日本の荒れた林道と変わらないくらいの貧相な道だ。そのため雨季には毎年どこかの道が崩れ、その度に補修のために通行止めになる。そうなったら最悪数日は停滞を余儀なくされるので、なるべく雨季に入る前に通り過ぎておきたい。丁度この頃は雨季に入る直前だった。

Kailas2011small042Kailas2011small044   10:00、途中崩れそうなアヤシイ箇所もあったが、渋滞も無く概ね順調にネパールと中国(チベット)国境、ネパール側のコダリへ到着した。
 コダリはヒマラヤの山脈を二つに切り分けたような深い谷の中腹に張り付くようにある集落で、谷を分けて反対側が中国領だ。そこから中国側の街「ダム(ザンムー)」が見えるのだが、ネパールと比べ規模も大きく近代的な建物が多いので、山の斜面に浮き出た摩天楼のように見え不思議な光景だった。

 ここでバスを降り、近くのロッジに入り昼食のダルバートを食べた後、歩いて国境へ向かう。
 中国からネパールへ入国するには個人での場合でも結構簡単なようなのだが、今回のような逆での場合はかなり規制が厳しい。取り敢えず個人では不可能。団体のツアーで、かつ予めラサのエージェント(旅行会社)を通して許可を得た者しか入国できないのだ。

 ネパール側のイミグレーションはあっけなく通過。大きな物々しい橋を渡る。中央付近に二人、渡りきった場所に二人、銃を持った中国の兵隊らしき人が微動だにせず立っている。
 中央の兵隊?に名簿を渡してチェックを受けた後、名簿順に一列に並ばされて渡るように言われた。

 なんだか堅苦しい国境だが、これでもずいぶん穏やかになったのだそうだ。
 つい数年前までは、中国の役人が現地の人々を蹴っ飛ばしているなど日常茶飯事だったのだとか。

 渡り切った場所から右手に入ったところが広場になっており、そこで2時間ほど待たされた。役人の昼休みだったらしい。
 暑い時期だったが標高も高くなってきており、気持ちの良い風が吹いていたので過ごし易かった。

 中国側のイミグレーションの建物は、橋と一緒に最近建て替えられたもののようで、割と近代的な感じに見えた。電光掲示板もあり、一見地方の空港のような印象を受ける。
 チェックと荷物検査はしっかり受けた。ただ検査官は若い人が多く、中には綺麗な女性の検査官までいた。いろいろ聞かされていたので緊張して臨んだ検査だったが、思ったよりはスムーズに済んだと思う。ただ、いわゆるダライ・ラマ関係のものは悉く没収される。それだけは気をつけよう。

Kailas2011small045  イミグレーションを出て晴れて中国領へ。同行したシェルパのガイド、ナワンさんが合流予定のチベット人を探すため先に上へ登っていった。
 僕たちは30分ほど待ってナワンさんが連れてきたチベット人のガイド、クンチョクさんとドライバーさん5人と合流。キャンピングの荷物なども僕たちがイミグレーションにいる間に通してあり、予めチャーターしてあったトラックに既に載せられていたので、すぐにこれもチャーターしたランドクルーザーに乗り込むことができた。

 今回は人数も多かったので、ラサのエージェントに依頼をして、トヨタのランドクルーザーを4台、荷物運搬用のトラックを1台チャーターしてもらった。もっともカイラスまでは公共交通機関も一切無く、宿も無い箇所が多いので何かしらチャーターしなければいけないのだが。

 バックパッカーのような個人旅行者も行けないことはないのだが、ヒッチハイクでの移動はかなりのリスクを伴う。標高4,000m以上の高原を何日もかけて走らねばならず、途中放り出されれば集落など無い箇所が多く命の危険さえある。温度差は激しく、ヒッチでトラックの荷台に乗せてもらった旅行者が翌日凍死していた、なんて話もあるくらいだ。

Kailas2011small046  それでは意気揚々と出発、と思ったがすぐに僕たちはダムの街中で立ち往生してしまうことになった。
 ダムは急な山の斜面に造られた街なので、道は普通車でもすれ違うのがやっとな箇所がほとんどなのだが、国境の街のため大型トラックが無理に国境ぎりぎりまで入ってきてしまうのだ。
 お互い譲り合うようなことはせず、何とかすれ違うようにするようなのだが、どうやっても無理な場合も当然ながらある。今回の場合がそうだった。
 トラックは何台も降りてきており、後ろからはどんどん車が詰まっていく。
 普通車は何十台も、何度か切り返して路肩の民家ギリギリに幅を寄せ、トラックとの間数センチというわずかな間ですれ違っていった。結局僕たちが全てすれ違うまでに1時間近くかかってしまった。

Kailas2011small048Kailas2011small049   トラックとすれ違ってからは、先ほどの渋滞が嘘のように道が空いていた。
 先ほどの鬱憤を晴らすかのように、ドライバーは猛スピードでダムの街の斜面を駆け登っていく。
 集落を抜け、谷の深い自然の風景が見える所まで来ると、道は驚くほど広くなっていた。一見日本と変わらないくらい整備された道で、センターラインも綺麗に引かれ、トラック同士がすれ違っても十分な広さだ。
 どうやら近年になって整備されたようで、5年前に通ったことのあるナワンさん達はその変貌ぶりに大変驚いていた。

 途中チェックポストがあり30分ほど停車したが、後は素晴らしく快適にこの日の宿泊地、ニャラムまで辿り着くことができた。
 道は本当に日本と変わらない快適さだ。ヒマラヤの大自然をものともせず断崖を削り、トンネルを掘り、橋を掛けて車道を建設した中国の国力を、まざまざと見せ付けられた感じだった。もはや辺境という感じはしない。

Kailas2011small050  チェックポストを過ぎた辺りから、周囲の風景は荒涼とした山々に変化していった。標高も徐々に高くなり、少し息苦しさを感じるようになっている。だが相変わらず山々の頂は遥か彼方の上のほうに隠れており、ここがヒマラヤ山脈の一部なんだということをまざまざと僕達に見せ付けていた。

Kailas2011small051  17:15、まだ陽が明るいうちにニャラム到着。
 ニャラム(標高3,750m)はインド方面との交易の中継点として栄えた街だ。チベットの街は、どこも広大なチベット高原に唐突にぽつんと、寄り集まるようにしてできている。ここもその例に漏れず周囲は何も無い山々に囲まれており、少し寂しい感じのする街だった。
 チベット高原の厳しい自然を相手に生活を営もうとすると、自然とこうなるのなろう。

 この日の夜は宿の下にある中華料理店で夕食をとった。
 この店はニャラムでも本格的な中華料理を出す店だそうで、注文した料理は全て美味しかった。食材はほとんど雲南方面から仕入れているそうだ。値段も安くカトマンズの中華料理店よりも美味しいかもしれない。

2日目に続く。

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