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2015年4月14日 (火)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング 第7日目最終日 チョクドゥ~シャンシュミド

トレッキング最終日。下山口までは1時間ちょっとの行程なので、ゆっくりと出発した。

Dsc_0737Dsc_0738今まで降りてきた道を振り返ると、よく一日でここまで降れたものだと思う。昨日の峠は、この場所から遥か見上げる山の頂よりもさらに上にあったのだ。

道は最初人と馬が歩けるほどの幅しかなかったが、しばらくすると急に拡がり、車でも走れるほどの広さに変わった。ここまでは重機が入ったようだ。

Dsc_0739Dsc_0741この辺りから川幅が広がり、空も広くなってくる。フラットで歩きやすい道を気持ち良く歩いていると、あっという間に下山口シャン・シュミドに到着してしまった。

シャン・シュミドには既にチャーターした車が待っていてくれていた。

Dsc_0743Dsc_0746荷物を降ろし、ドライバーさん、馬子さん達も一緒にお茶を飲みひと息入れる。

馬子さんとはここでお別れ。蹄鉄を替えるのをお手伝いした後、僕たちは礼を言って車で出発した。

Dsc_0751Dsc_0747昼前に到着し時間はたくさんあったので、帰りは道中にあるゴンパに立ち寄りながらレーの街へと戻ることにする。なんと下山口からレーまで、車道は全て舗装されていた。

立ち寄ったゴンパは、へミス・ゴンパ、ティクセ・ゴンパ、シェイ・ゴンパ。

これらはトレッキングではなく、単純に観光として訪れただけなので箇条書きに紹介させていただく。

インダス川沿いに佇むスタクナ・ゴンパは、残念ながら時間的に難しく近くで写真を撮影するだけになった。

帰ってきた僕たちはさらに3日ほどレーに滞在した後、一路ネパールへ向かった。

訪れたラダックのゴンパ(寺院)や遺跡

Dsc_0058Dsc_0064レー王宮
レー市街を見下ろす山腹にそびえる巨大な城跡。
17世紀にセンゲ・ナムギャル王によって建立されたもので、ほぼ同時期に建てられたチベット・ラサの
ポタラ宮によく似ている。一説にはポタラ宮のモデルになったとも。
1999年から修復が進み、内部は簡単なミュージアムのようになっている。

Dsc_0005Dsc_0083ナムギャル・ツェモ・ゴンパ
レー王宮の上にあるチャンバ(弥勒菩薩)を祀ったゴンパ。背後に白い砦の遺跡が残っています。
ゴンパからはレーの街の全景を眺めることができ、タルチョ(祈祷旗)がはためくさまは感動的。

Dsc_0761Dsc_0756ヘミス・ゴンパ
レーから南東に45キロほど離れた山間にある、ラダックで最も有名なゴンパ。
17世紀、センゲ・ナムギャル王がラダック王家の導師タクツァン・レーパのために建立して以来、
王家の菩提寺として庇護されてきた。座主はドゥク派の管長でもあるドゥクチェン・リンポチェ。
巨大なチベット仏教創始者グル・リンポチェ(パドマサンババ)像などが祀られている。

Dsc_0786スタクナ・ゴンパ
16世紀~17世紀初頭の頃に、ブータンから招かれた高僧のために建立されたとされる、ドゥク派に
属するゴンパ。インダス川に沿った小高い丘に建てられた姿は絵画のように美しく印象的。
内部は古くから伝わる仏像や壁画、タンカなどが多数あり、重厚な雰囲気だ。

Dsc_0796Dsc_0788ティクセ・ゴンパ
レーの南東約19キロにある、ラダックを象徴する勇壮な佇まいのゴンパ。岩山の中腹に無数の僧房が
ひしめく姿は圧巻。ゲルク派の開祖ツォンカパの弟子チャンセム・シェラブ・サンボの甥にあたる
パルデン・シェラブ・サンボによって、15世紀に建立された。座主はティクセ・カンポ・リンポチェ。
現在100人ほどの僧侶が在籍しているほか、ゴンパ内の学校で4~50人の少年僧が学んでいる。
高さ15メートルにもなる巨大なチャンバ(弥勒菩薩)像が祀られており、端正な顔立ちで人気を集めている。

Dsc_0834Dsc_0832シェイ・カル / ゴンパ
レーの南東約15キロにある王宮跡。17世紀頃にデルタン・ナムギャル王が、父センゲ・ナムギャル王
の供養のために建立された。王宮は修復が進み、内部中央には高さ10メートルほどのシャキャムニ
(釈迦如来)像が祀られたゴンパがある。ゴンパ内部の壁には当時のままの壁画が手付かずで
残されており、当時の信仰の様子が判る重要な資料となっている。

● 最後に、ラダックのアクセスを簡単にアドバイスさせていただく。

*2013年時点の情報なので、実際に訪れる際は確認してください。

Dsc_0021ラダック地方へのアクセス
インド、デリーの空港で国際線から国内線へ乗り継ぎ、早朝に飛ぶ便でラダック中心地レーまで1時間半程で到着。
夏季5月~10月はほぼ毎日運行しているが、冬季や天候により変動するので事前に確認のこと。
インドなので観光ビザが必要。インド大使館参照。

レーへの便は早朝発がほとんどなので、もしあれば深夜着の国際線が乗り換えにスムーズかもしれない。
中途半端に遅いと、何も無い待ち合いロビーで何時間も待つことになってしまい、大変疲れる。
或いは余裕を持ってデリーに入り、1~2日後に出発しても負担が無く良いと思う。

陸路では夏季限定で道が開くが、デリーから丸3日かかるうえ4~5,000mの峠を4箇所も越えねばならず、お勧めできない。

また、飛行機でも最初に降り立つレーの標高は3,200mあり、高山病の心配がある。
1~2日はなるべく出歩かず、ゆっくりと過ごした方が負担は少なくなる。

個人で行く場合、デリーへの航空券はどこでも簡単に手に入るが、レーへの国内線の調達は、日本では限られている。さらに発券後24時間以内に料金を振り込まなければキャンセルされてしまうので注意。

私は航空券のみ「西遊旅行のキャラバンデスク」でお世話になった。

また、ラダックでの観光やトレッキングは、現地の旅行会社へ依頼したほうがスムーズかつ安い。

私がお世話になった旅行会社は、
「Hidden Himalaya(ヒドゥン・ヒマラヤ)」
http://zanskar.jimdo.com/
ご主人がザンスカール人、奥さんが日本人の旅行会社。
親身になってアレンジしてくれ、対応もしっかりしている。

標高が高いので、朝晩は夏でも相当冷え込む。防寒対策は万全に。

両替はレーの中心街の銀行にて。

電力事情は悪く、停電が頻繁に起こる。インターネット環境もWifiを繋げる宿やレストランは多いが、繋がりにくい。

冬季(10月末~3月)はかなり冷え込み、水道管も凍ってしまうため、宿やレストランも休業状態になる。営業しているホテルは1軒のみ。峠は閉鎖され、飛行機の便数も極端に少ない。お勧めしない時期だが、チャダルトレック(凍った川を遡ってザンスカールを目指すトレッキング)をするのならば、この季節に行かなければならない。

ベストシーズンは7~8月で、お祭りがいちばん多く行われる収穫の季節だ。次回はぜひこの時期に訪れ、ザンスカールを目指したいと思っている。

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2015年2月27日 (金)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング 第6日目 ニマリン~チョクドゥ

Dsc_0640 朝の高地の平原は明るくなるのが早い。朝は早めに起きてしまったのだが、昨日からの寒さでなかなかシュラフから抜け出せない。まだ人肌くらいに温もりが残る湯たんぽを頼みに、気合と共に衣服を着替える。

 いよいよ今日は今回のトレッキングのハイライト、最高地点コンマル・ラ越えだ。

 6時頃にキッチンテントで軽い朝食を済ませる。陽が当たってはいるのだが、川はガチガチに氷が張っていた。身支度を整え、7時に出発。

 テントや寝具一式はそのままだったが、後から馬子さんがまとめて馬に背負わせて付いてきてくれるそうだ。

 既に小さな小川となったマルカ川を渡り、最初の急登にとりつく。

Dsc_0650Dsc_0653 左手には近くで放牧されてい羊たちが数百匹、狭い囲いの中に入れられ休んでいた。夜はあまりに寒いので、こうして固めて暖を逃がさないようにしておかないと死んでしまうのだそうだ。放牧の人たちも、そろそろ冬支度で下山すると言っていた。

Dsc_0661Dsc_0663 1時間ほど登ったところで、道は緩やかな坂に変わった。歩きやすくはなったものの空気が薄いので、休みながらゆっくりと進んでいく。

 振り返るとそれまで歩いてきたマルカ谷が見渡せた。すでに自分の視線よりもはるか下になっている。

Dsc_0660Dsc_0665 先日のガンダラ越えの頃に積もったであろう雪が目立つようになった辺りで、近くの岩の隙間で動いているものに気付いた。よく見るとナキウサギが、ひょっこりと顔を出している。

 注意してみると何匹も駆け回っているのが見えた。丁度冬篭りの準備で、食料を探しているところらしい。

 緩やかな登りがしばらく続き、峠手前に差し掛かった辺りでまた急坂に変わる。負担をかけないようにさらにペースを緩め、牛歩のごとくじりじりと登っていく。

Dsc_0669Dsc_0690 そして11時を過ぎた頃、ようやくコンマル・ラ(5,130m)に到着した。

 それまで見上げていた山々は同じ目線になり、飾られたタルチョの間からヒマラヤの山々やチベット高原が遥か彼方へ続いている。

Dsc_0692 まさに壮大な絶景。ここまで歩かなければ辿り着けない素晴らしいものだった。

 少し休憩した後、記念写真を撮るなど30分ほど思い思いに過ごす。この年に亡くなったた友人の写真も一緒にタルチョに供え、ご冥福を祈らせていただいた。

 タルチョは風に乗せて願いをヒマラヤの神々へ届けるとされている。僕らの願いは友人に届いただろうか。

Dsc_0697Dsc_0702 テントを撤収して少し遅れて出発した馬子さんが追いついてきた頃、僕たちは峠を出発した。

 降りは急な傾斜の雪の中、滑らないように気をつながら進む。幸い雪は滑らず歩きやすかったので、軽アイゼンだけで快適に歩くことができた。もう登り坂が無いという安心感からか、無意識にスピードが上がってゆく。

Dsc_0704Dsc_0712 またも現れた野生のブルーシープを横目に、1時間ほどで小川の流れる谷底へ辿り着いた。ここでランチにする。

 改めて見返すと、僕ら2人に加えガイドさん、ポーターさん、馬子さんに馬4頭という結構な大パーティだ。

 なんとなく、キャラバン隊を編成してシルクロードを渡り歩く商人になったような気分で楽しい。今回は2日だけだったが、今度はこんな旅を1週間ぐらい続けるのもいいかもしれない。お金はかかりそうだが。

Dsc_0714Dsc_0721 この辺りは地殻変動が激しかったらしく、超巨大な地層が傾き垂直に上へ向かって伸びており、スケール感がおかしくなってしまうほど圧倒的な迫力で僕らに迫っていた。

 それだけに道も険しく、雪は無くなったとはいえ降り道でも狭く傾いているので滑り落ちないように細心の注意を払う。

Dsc_0725Dsc_0727 馬は重い荷物を積んでいても器用にこの道を難なく降って行くので、改めて驚いた。

 切り立った谷間から、ようやく川幅が広がってきた頃に、西洋人の男性が一人でテントを張っているところに出くわした。聞くとこの日はここに泊まり、明日から僕たちが来た峠を越えるという。

 この道を逆コースで行くとしたら、相当な体力と気力が必要だ。僕たちは数日かけて5,000mを目指したが、この男性は登山口からいきなり2日目で行かなければならないからだ。

 高度順応がしっかりできている人だと思いたい。ガイドさんもいなそうだし、知らないとしたらきっと後悔するだろう。気をつけて、と声を掛けて僕たちは先を急ぐ。

Dsc_0734 午後4時を過ぎた頃、急に数件の民家が現れた。ここがチョクドゥという集落らしい。

 下山口まであと1時間半ほど。無理をすればその日のうちに着けそうだったが、急ぐ理由は何も無かったので、この日はここの民家で部屋を借りることにした。

 チョクドゥは電気が来ている。久し振りの文明の力に、1個の電球の灯りであっても有難さが身に沁みた。

7日目へ続く。

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2015年2月17日 (火)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング 第5日目 ハンカー~ニマリン

 この日も7時に簡単な朝食を済ませ、8時に出発。

 昨日訪れた小さな学校を横目に、川に沿って歩いてゆく。

Dsc_0542Dsc_0545 すぐに峠のような登りになり、斜面に古そうなチョルテンがいくつも建てられた場所に出た。

 そこから見上げると、小山の頂に大きな砦のような遺跡が聳え立っている。規模からして城跡のようだ。ヤンペルさん曰く村人はいつからあるのか誰も知らないということだった。

Dsc_0548Dsc_0550 後日マルカ谷を紹介した英文のガイドブックを見たら、この遺跡が少し解説されていた。

 それによると、17世紀後半、この辺り出身のラダック軍の将軍がチベット軍と戦い勝利を収め、その褒美としてこの辺りを領地とし城を築いたのだそうだ。

Dsc_0551Dsc_0556 そう言われると、この遺構や村の区画(多くは畑になっているが)を見るとかつてここに街があったように見える。この道はシルクロードから枝分かれして、インドへ向かう交易ルートの一本だったようなので、かつてここが賑っていたとしても何の不思議もない。

 ここも手付かずらしいので、掘れば何か出てくるかもしれないが、この高度での調査はかなり困難に違いない。

Dsc_0557Dsc_0560 集落の外れにあるハンカーの畑を過ぎると、道は川に入っていった。川といっても、すでに上流域に差し掛かっているので、小さな小川のような感じだ。標高4,000mを過ぎると朝晩は厳しく冷え込むようで、川の水も氷が張っていた。

Dsc_0561Dsc_0563 川岸の枯れ草にたった一箇所、薄いショールのようなものが絡まったものを見つけた。

 最初ビニール紐か何かかと思ったが違うらしい。触ってみたらすぐに溶けてしまった。なんと氷だったのだ。
それは霜柱の一種でヤンペルさんも見ることは稀らしく、特殊な環境でしか生まれないかなり珍しい現象なのだそうだ。

Dsc_0578Dsc_0580 この辺りから道は急な登り坂になっていった。野生のブルーシープの群れを対岸に見ながら、呼吸を乱さないようにゆっくり高度を稼いでゆく。

Dsc_0582_2Dsc_0589 徐々に周囲の景色は開け始め、それまで歩いてきたマルカ谷や周囲の山々が同じ視線で見渡せるようになってきた。

 正面にはこの辺りでは最高峰のピーク、カーン・ヤツェ(6,400m)が迫っている。

Dsc_0597Dsc_0598 昼食後さらに2時間ほどかけて登り上げると、何も無い広大な平原に出た。ニマリンという場所だそうだ。

 目を凝らしてヤンペルさんの指差す方向を見ると、小さくテントが張ってあった。僕たちのテントだそうだ。

 実は出発前にヤンペルさんがこの日に合わせて馬子さんを雇い、テント一式を下山口から運び上げてくれていたのだ。テントが見えてからなかなか辿り着かない感じだったが、1時間ほどで到着。

Dsc_0613Dsc_0614 キッチン用と宿泊用、スタッフ用のテント計3張りに炊事用具などを馬4頭で運んでいた。

 向こう側には一般宿泊者用のテントが張ってあったが、オフシーズン直前で大部分が撤収しており、宿泊できるかは微妙な感じだ。気を使う必要もないし、やはりテントを持ってきて正解だったと思う。僕ら2人だけのためにかなり贅沢な環境だ。

Dsc_0615Dsc_0617 ニマリンは標高4,730mあり、冬の到来直前の時期もあって夜はかなり冷え込んだ。

 外の気温は-15度。湯たんぽと自分で持ってきたシュラフだけでは足りず、借りたシュラフも重ねてようやく眠ることができた。

Dsc_0621Dsc_0636 夜中はテントの内側に霜がびっしりと付いてしまい、まさに冷凍庫の中のようだった。今回のトレッキングで一番厳しい場所だったが、翌日は一気に下山口近くまで降りられることを思うと、ここは我慢のしどころだろう。

Dsc_0634 空は月明かりが眩しく、辺りは灯りが必要無いくらいに明るかった。

6日目へ続く。

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2015年2月12日 (木)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング 第4日目 マルカ~ハンカー

Dsc_0424Dsc_0426 この日も美味しいチャパティをいただき、朝8時に出発。

 一昨日のユルツェほどではないが、やはり朝晩は寒い。日陰はまだガチガチに土が凍っていた。だが日が差してくるとすぐに暑くなる。今日も晴れておだやかな一日になりそうだ。

Dsc_0433Dsc_0439 川を渡り崖を登ると、すぐに開けた集落に出た。ここがマルカの集落らしい。

 崖の突端には砦かお寺の跡らしき廃墟がある。

Dsc_0443 集落を過ぎるとすぐに広い畑に出て、既に村人たちが収穫の作業をしているところだった。マルカ谷に降りてから多少の畑くらいは見かけたものの、それまでのほとんどは荒涼とした大地が続いていたので、この場所でこんな豊かな風景が見られることなど思いもしなかった。

 村人たちが昔から、代々時間をかけて少しづつ畑を造ってきた苦労の結晶なのだ。

Dsc_0446Dsc_0454 のどかな風景は畑を過ぎるとすぐにまたおなじみの荒涼とした風景に変わった。

 広く気持ちの良い谷を川に沿ってしばらく進むと、左手の崖に野生のブルーシープの群れが出迎えてくれた。周辺の岩と同化して判り難かったが、列を作って器用に断崖を横に進んでいる。

Dsc_0459 さらに進むと、前方に巨大な奇岩が現れた。剣の先端のように細く鋭い岩が垂直に突き立っている。どうしてこんな岩ができるのだろうか。

 ヤンペルさん曰くここから右に折れて1週間進むとザンスカールへ行くことができるのだそうで、この奇岩が目印になっているらしい。

 そのルートは地図にも載ってはいるが、途中民家は一軒もないのでキャンピングしながら歩かねばならない上級ルートとして紹介されている。ヤンペルさんも、16歳の頃に一度だけ父親と歩いたことがあるだけで、かなり大変だったそうだ。

 もちろん僕たちはその分岐を横に見て、本来のルートを進んだ。

 川の対岸の崖、ブルーシープのいたところにも石垣が見え、道のようなものが見えた。ヤンペルさんに聞くと、雨季などで川を歩けない時期に使う道なのだそうだ。

 良く見ると崖崩れや風化などで所々道が崩壊している。毎年修復しているのだろうか。あの道を歩くのはかなり大変そうだ。

 川はS字のように曲がり、道も同じように曲がるのでカーブの箇所はちょっとした峠のようになっている。
 対岸に四角いビルのような岩が見える。頂も平坦なので、人の手が加わったかのような造形だ。あそこに行ったら何かあるんじゃなかろうか。

 峠の頂きで雨季用の道と合流し、その辺りにチョルテンやマニ石などがいくつも建てられていた。
Dsc_0479Dsc_0484 左手を見ると、なんと崖の頂に建物が見える。そこへ行くための道もあるが、かなりの急斜面であそこまで行くには結構な覚悟が要りそうだ。この辺りの中心的なお寺らしい。なぜあんな所に建てる必要があったのだろうか。

 そういえばネパールでも、村のお寺は崖の上や険しい場所を敢えて選んで立てている傾向があるように思う。何か理由があるらしい。

 お寺を見上げながらさらに進むとまた川幅が広がった。この谷はこういった地形の繰り返しのようだ。

Dsc_0489Dsc_0488 すぐにまた小さな集落が現れた。人は見えないが、川原には洗濯した衣服が岩に広げて干してある。近くにはワタスゲが植えられ、生活感はよく出ていた。たぶん放牧にでも出掛けているのだろう。

 そう思っていると、道端に一人の老婆が道に腰掛け、ひなたぼっこをしながら座繰りで毛糸を作っていた。ここの村人らしい。

 やはりこの辺りで放牧していたのだ。夕方になると自然と羊たちは集まりだし、集まったところで家に戻るという。

Dsc_0493Dsc_0495 ここで生活するというのは大変な苦労だというのは重々承知だが、このお婆さんを見ていたらちょっと羨ましく感じてしまった。

 前方に雪をかぶった大きな山が見えてきた。今までのラダックで見えた山はどれも同じような特徴のない山ばかりだったが、この山はひとつだけ大きく雄大に聳えている。

Dsc_0502Dsc_0504 名前はカーン・ヤツェ(6,400m)といって、この辺りの盟主的な山なのだそうだ。

 この山と重なった広く美しい谷を進むことさらに1時間、ハンカーという村に到着した。

Dsc_0508Dsc_0514 時間は13時過ぎくらいだったが、今日はこの村で宿泊する。ここから先は標高が急に上がり、民家も無いからだ。

 僕達は一番手前の民家にお邪魔させてもらった。庭には小麦や稗などを乾燥させている。
 通されたお部屋は広く快適な場所だったが、小さな虫が外から入ってきていたようで、取り除くのに少し苦労した。

Dsc_0516Dsc_0518 ダイニングでランチをとる。いただいたものはチャパティのサンドイッチと、マルカで採れた新じゃがだ。

 途中ヤンペルさんがマルカでいただいてきたのだそうだ。やはりジャガイモでも採れたてがいちばんおいしい。新鮮なので瑞々しく、ホクホクしていて最高だった。

Dsc_0527Dsc_0530 ランチの後は少し外へ散歩してみる。向こうの建物の側には遊んでいる子供達が見えた。この辺りでは子供はあまり見かけなかったので、珍しい光景だった。

 近付いてみると同じ服を着ている。どうやら学校らしい。放課後のようで、学年の違う子供達が一緒になって辺りを駆け回っていた。
信じられなかった。ここは標高4,000m。僕などが走ったらたちどころに酸欠で倒れてしまうだろう。

Dsc_0534Dsc_0536 子供達に近付いてみると、彼らも気付いて近付いてきた。人懐こさは他と変わらない。

 いろいろ聞いてみたかったのだが、ラダック語しか話せないようで残念ながら伝わらなかった。

 だが、英語は少しだけ判るようだ。どこから来たの?と聞かれたので日本、と伝えた。ところがなんと日本という国を知らなかったのだ。

 中国は知っていたので中国の向こうのほう、とだけ言ったがどこまで判ってくれただろうか。外国人と接する機会はあまり無いようで、僕を好奇の目で眺めている。カメラを持っていたので写真を撮ってあげた。

Dsc_0537 画像が出るのでそれを見せてあげると、たちまち喜んで今度は変な顔やらいろんなポーズをとってくれた。

 僕も負けじと何枚も撮影してあげて、そのつど見せてあげる。楽しいひとときだった。

5日目に続く。

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2014年10月15日 (水)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング 第3日目 スキュ~マルカ

 昨夜はぐっすりと眠ることができ、朝は気持ち良く起きることができた。昨夜の疲れは幸いにも残っていないようだ。しっかり食べてビタミン剤を飲み、快適な場所で早く寝ることができたからだろう。家主の方に感謝だ。

Dsc_0321Dsc_0319 ダイニングに入ると、既にガイドのヤンペルさんとポーターさん、家主の奥さんが朝食の支度を始めているところだった。ダイニングは古かったが広く綺麗に整理されていて、炊事用の暖炉が端にあり火が入っていて部屋全体が
暖められていた。暖炉の下に子猫が丸くなっている。

 ラダックで子猫を見たのは初めてだ。ネパールでは猫の境遇はあまり良くないようで痩せ細った野良猫しか見なかったが、この辺りでは違うのだろうか。

Dsc_0323Dsc_0324 部屋中央の柱には麦の穂が2つ縛られている。上が去年のもの、下が今年のものだそうだ。家の精霊に
収穫のお供えをしているとのこと。丁度今が収穫の季節なのだ。

 朝食は昨日と同じくチャパティとミルクティー。目の前で焼いてくれて、焼きたてをほおばるとことのほか 美味しいのだ。

  お世話になった家のご主人にお礼を言い、朝8時に出発。 この日からしばらくはマルカ谷という谷を川に沿って登っていく。登り降りのない比較的フラットな道なので歩きやすい。昨日の行程が嘘のようだった。

Dsc_0327 この辺りは工程中最も低い場所にあって(それでも3,200mだが)、比較的木々も多く見られた。柳やポプラも色付き始め、秋真っ盛りといった感じだ。リンゴやアプリコットも多く実っている。

Dsc_0336Dsc_0344 1時間ほど歩くと左手に要塞のような建物が現れた。昔の砦跡らしい。まだ調査が入っていないようで、いつの頃のものかははっきりしないのだそうだ。掘れば何か出てくるのかもしれない。マルカ谷はこの辺
りから先、多くの奇岩が聳えていた。こういった遺跡を見ると、奇岩も何かの建造物に見えてしまう。

Dsc_0355Dsc_0353 さらに1時間進むと、放牧の羊飼いの一団とすれ違った。彼らは道から逸れた崖の上から現れ、僕たちの目前で、崖から落ちるように駆け降りて合流し、何事も無かったかのように通り過ぎていった。

 羊の群れの中には、時々山羊が混ざっている。 羊だけでは先頭が間違って崖から落ちてしまうと、他の羊はそれを追って全て崖から落ちていってしまうのだそうだ。反面山羊は賢く、それぞれ自分の判断で安全な道を探してくれるので、羊はそれを追って安全に山を歩くことができるらしい。以前ネパールのガイドさんに聞いた話だが、確かにここでも同じように山羊を使っていた。

Dsc_0363Dsc_0365 さらにマルカ谷を進む。昼前になんと山羊の首を持った村人とすれ違った。何事かとヤンペルさんが話しかけたら、スノーレオパルド(雪豹)に襲われたのだとのこと。昨日はこの辺りも少し雪が積もったそうで、その際に雪にまぎれて雪豹が村に現れ、飼っていた山羊数匹がやられてしまったのだそうだ。

 村人はただじゃおかん!と言って向こうへ行ってしまった。ここはまだそういう場所なのだ。

Dsc_0369Dsc_0367 そこから少し歩いたところで川幅が広がり、点々とまとまって緑が茂っている箇所が出てきた。村人が川の水を引いて、木を植えているようだ。畑を作っている場所もある。標高が高い場所は基本的に寒く乾燥しているので、なかなか緑や作物は育たないのだが、村人の努力で最近は穀物や野菜などを栽培している土地が増えてきているという。

Dsc_0368Dsc_0391 道端には時々チョルテン(経塚のようなもの)やマニ石(真言を刻んだ石)を積んだ壁(マニウォール)などを見かける。これは主に集落の入り口にあることが多く、災いが入るのを防いだり、旅人の安全を願う意味で建てられている
ことが多いそうだ。要するに結界のようなものらしい。

Dsc_0373_2Dsc_0374 この辺りは村に住む人が亡くなると荼毘に付され、遺灰の一部を使って塚の形をした小さな置き物を作って、このチョルテンやマニウォールに置いている。お墓や位牌の意味もあるし、守ってもらうといった意味も
あるという。

 しばらく荒涼とした道を進み、サラという場所で昼食にした。 民家が一軒あるだけで寂しい場所だが、周囲を低い緑に覆われ明るい雰囲気だ。その家が庭を休憩所のようにして開放してくれていたので、そこを借りることにする。メニューは今朝スキュで作ってくれたチャパティのサンドイッチだ。40分ほどで出発する。

Dsc_0399Dsc_0378 道は荒涼とした場所、柳の茂った場所、チョルテンなどのモニュメントを交互に繰り返しながら先へ続いている。

 村人とも何人かすれ違ったが、どうやら移動手段は歩きだけではなく馬も利用しているようだった。確かにこれだけ荒涼とした土地で生活を営むには歩きだけでは過酷過ぎる。しかし自動車に慣れた僕たちから見ると、馬であっても過酷に見えてしまうのは、便利な文明に慣れきって しまっている証拠なのだろうか。

Dsc_0401 途中、道端に石を積み上げた大きな竪穴があった。何かの倉庫かなとも思ったが、何も無いし中は広く口が壺のように小さくなっている。一度落ちたら這い出すのは至難だろう。

 ヤンペルさんに聞いたら、これは何とオオカミのトラップだとのこと。 この穴に羊を一頭入れておきひと晩待つと、それを狙ったオオカミがたくさんかかっているのだそうだ。

Dsc_0392Dsc_0394 この辺りの産業は牧畜がほとんどなので、オオカミに狙われると死活問題なのだ。そのため羊を一頭犠牲にしてでも、オオカミを定期的に捕らえなければならない。選ばれた羊はたまったものではないが。

 確か民俗学の本で、大昔日本にもこのようなトラップがあったと見たことがあったが、ここでは未だに現役だった。

Dsc_0406 そこからさらに進むと、道が川で寸断され途切れてしまった。以前からガイドブックでこのコースは川を渡らないと先へ進めないと書いてあったので覚悟していたが、どうやらそのときが来たようだ。

 ヤンペルさんは比較的短く浅そうな場所を選び、おもむろに靴を脱ぎズボンを捲ると、ばちゃばちゃと対岸へ渡りだした。 遅れじと僕らも靴を脱ぎ川へ入る。ものすごく冷たい。

 日常では素足で歩くことなど滅多に無い僕らは、ちょっとした川底の石にも足が刺激され歩き辛いこと この上ない。おまけに川水に冷やされて痛くなってきた。大した距離ではないのだが、ようやく渡り終えた直後はしばらく動くことができなかった。

 子供の頃は裸足でよく近所の川原へ遊びに行ったものだが、もうとうに子供のような足ではなくなっていることを、身に沁みて思い知る。

 だが、不思議なことに歩き出してみると体が軽く、歩きやすくなっている。極端ではあったが足は冷やされてマッサージされたようで、疲労がずいぶん取れていた。確かに歩き疲れた足には有効だろうと思った。あまりやりたくはないが。

Dsc_0414Dsc_0415 川を渡り30分ほど歩いたところで、小さな集落が見えてきた。ここが今日の目的地マルカらしい。谷の名前にもなっている村の割には小さいなと思ったが、この先にまとまった集落があるとのこと。

 何度か川を渡る作業をしなくてはならないのかと気が重かったが、幸いにも渡らずに到着することができた。この時期は乾季にあたり、水量は少ないのだそうだ。

Dsc_0422 この日宿泊した一軒家は、電気は来ていないが立派な建物だった。家の主人は昔インドの軍隊にいたらしい。そのお金で、この家を建てたのだそうだ。

 この日の夕食の蒸しパンとカレー風味のシチューも、冷えた体に染み渡り本当に美味しくいただけた。

 この辺りで僕たちが食べる食事は、基本的にその家の食事を分けていただく形なので、その土地の本当の味なのだから美味しくない訳がないのだ。

 4日目につづく。

 

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2014年8月 5日 (火)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング 第2日目 ユルツェ ~ スキュ

目が覚めたのは6時過ぎだった。外は結構冷えたが、風を通さない頑丈な部屋だったため温かく眠ることが出来た。
夜中トイレに出かけた。屋外だったものの、同じ階だったので真っ暗な急な階段で足を滑らすなんてことはなかったのだが、便器は無く穴がひとつ開いているだけだった。
穴の下はそのまま肥料として使えるような区画が設けられている。かなり高い。
穴は大きく、明りも無いため足を踏み外そうものなら大事故が待っている。ヘッドライトでなかったら結構苦労したに違いない。足場に気をつけて用を足した後、部屋の端に積まれた枯葉や土を、スコップで穴に撒いた。こうしておけば、肥料になりやすく臭いも防げると教わったからだ。

因みに、トイレットペーパーを置く場所は勿論無いので、首から提げるポーチを持っていくと何かと便利である。

準備を済ませて7時頃ダイニングへ。トイレの後夜のうちに少し雪が降ったようで、外はうっすらと雪化粧だった。
この様子で峠は大丈夫なのだろうか。今日は2日目にして4,900mの峠を越えなければならないのだ。

Dsc_0218_2Dsc_0221ダイニングでは家の人々がすでにチャパティを作っていた。小麦粉やとうもろこしの粉を練って焼いただけのいたってシンプルな食べ物なのだが、これがとても美味しい。バターもヤクミルクから作っているそうでとても濃厚だった。
ヤンペルさんに天気のことを聞いてみたら、雲は高くなっており雪が降る心配は無いだろうとのこと。今シーズンの初雪だったらしく、積雪も大したことはなさそうだった。

Dsc_0227Dsc_02398時に出発。うっすらと雪の積もった緩い上り坂を、しばらく登ってゆく。
少し行くとキャンプサイトに着いた。ハイシーズンにはここに茶店が出来るらしい。

キャンプサイトからは傾斜が徐々に厳しくなってきた。息を切らさないように、ゆっくりと登る。
周囲は完全な白黒の世界だ。時々青空が顔を覗かせてくれたのだが、妙にその青色に違和感を感じてしまう。

暫く3000m帯に滞在しているとはいえ、2日目で4,900mは身体的にも結構きつい。
敢えて何度も休みながら、勤めて時間をかけて一歩一歩進んだ。
周囲は雲が多いが、隙間から覗かせたヒマラヤの荒々しい山々が僕らと同じ高さにまで来ているところをみると、頂上は近いのかもしれない。
Dsc_0249上から空荷の馬の一団が降りてきた。向こう側に荷物を届けた帰りだろうか。聞いたところ峠はもうすぐだとのこと、希望は確信へと変わり、現金なものでバテ気味の体にも力が湧いてくるのがわかった。

11時前、無事に峠に到着することができた。

Dsc_0255Dsc_0253ガンダ・ラ(4,900m)は、ヒマラヤの主だった峠にはどこにでもある石壁とタルチョが張られた、典型的な峠だった。僕らが登ってきた側からの強風で、タルチョは真横にはためいている。そちら側の天気は荒れ模様だが、峠を越えた反対側は、雲は多いものの穏やかに青空が広がっていた。
気温はそんなに低くないと思うが、強風のためかなり寒く感じる。
石壁の風下のほうに腰を下ろし小休止。
あまりここに滞在しても凍える一方なので、記念写真を撮り息を整えた後早々に出発する。後は降るだけだ。

Dsc_0267Dsc_0271降りは流石に早い。どんどん進む。あっという間に中腹まできてしまった。時間は12時を過ぎたくらいだ。
丁度良い場所があったので、ここで昼食。今回も昨日と同じサンドイッチだった。ヤンペルさんは2食分用意してくれていたのだ。明日からは現地の家から調達するので、質素になるかもしれないとのことだった。

Dsc_0285Dsc_0290昼食後もどんどん降ってゆく。かなりのハイペースで歩いていると思うのだが、なかなか先が見えてこない。
地図を見ても、距離は相当あるようだ。ネパールのトロンパスからの降りもこんな感じだった。

いい加減飽きてきた頃にチョルテンとマニ石が見えてきた。これがあるということは、人が住む村が近いということだ(たまに例外はあるが)。

Dsc_0301Dsc_0297そこからも結構長いように感じたが、歩き続けて3時間、ようやく人の住む村シンゴに到着することができた。
シンゴは2つの川が合流する谷間にある村で、立派な民家が何件か建っているが、何故か人の気配がない。川を挟んだ対岸で休憩したのだがしんと静まり返った静かな村だった。農作業にでも出掛けているのだろうか。
背後に馬の鳴き声が聞こえた。振り返ると神々しく感じるほど綺麗な、純白の馬だった。なぜこんなところに一匹だけ?
ヤンペルさんによると、昨日会ったオーストラリア人が雇った馬ではないかということだった。
馬子さんはこの村に住んでおり、ユルツェを往復してきていたのだ。

休憩中、今日のスケジュールについてヤンペルさんから相談された。時刻は15時半。つまりここで宿泊するか、もう少し歩いて谷に出たところのスキュまで行ってしまうかだ。
ここで宿泊しても、マルカ谷での行程で短い日もあるので問題は無いらしい。少し迷ったが、歩けるうちに歩いておいた方が良いだろうということになり、出発することにした。

Dsc_0284歩き始めて少しすると向かって左側の山の斜面一面が、真っ白になっている場所に出た。どうやら石英の岩脈らしい。残念ながら近付けなかったのだが、明らかに光っている箇所もあったので、水晶化している部分もあるようだ。相当な危険な場所だが、良質のヒマラヤ水晶がここにもあったのだ。

道は川の中に入っていき、それまで歩いた道とはだいぶ違う、荒れはてた道になっていった。
Dsc_0303今までの道とは明らかに違うので聞いてみたところ、2010年、ここで大規模な水害が発生したそうで、下流のスキュ村もこの川沿いに住んでいた集落は家ごと全部流されてしまい、100人近い大変な犠牲者がでてしまったのだそうだ。
この砂漠のような高地でそれだけの雨が降ったというのも驚きだが、この人口の少ないエリアでの、さらに小さなひと集落で100人もの犠牲が出てしまったことに愕然としてしまい、少し言葉に詰まってしまう。
ここがその災害が起こった、まさにその場所だったのだ。
さらに聞くと、100人のうち50人ほどが外国人だったらしい。団体だったのだろうか。
まさかヒマラヤ3~4,000mの奥地で鉄砲水に襲われるなんて、夢にも思わなかったに違いない。
雨季だったとはいえそこまでの雨が降るとは、確実に地球の環境が変わってきているようだ。

普段から人通りの少ない道だったためか、3年たってもまともに修復されていないのだったた。
Dsc_0306ガイドブックにはシンゴから2時間ほどでスキュまで着くと書いてあったが、この状況ではなかなか辿り着けない。ようやく谷間の底に達し集落が見えてきたのは、日も暮れて月が明るくなり始めた19時頃だった。

流石に疲れ果て、ホームステイに通された民家では挨拶もそこそこに、用意された部屋へ倒れ込むように横になってしまった。
Dsc_0308Dsc_0310有難いことに夕食は部屋まで持ってきてくれた。用意された食事はすいとんのようなものと、塩味の効いたスープだった。すいとんは「スキュ」というらしく、そのまま村の名前にもなっているここの名物らしい。
これが日本人の口にも合って本当に美味しく、疲れた体でも抵抗無く食べることができた。おかわりをお願いしてしまったほどだ。もしカレーや脂っこいものが出ていたら、食べられるか自信がなかったので、本当に有難かった。

3日目へ続く。

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2014年7月11日 (金)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング 第1日目 ジンチェン ~ ユルツェ

早朝5時に宿を出発。チャーターした車で登山口ジンチェンへ。
レーを出てしばらくは大きな幹線道を走り、空港近くのスピトクゴンパから小道へ入りインダス川を渡る。
ジンチェンまで全て舗装されていたので驚いた。道幅は狭く途中から渓谷へ入りガードレールもないので少々怖いが、ネパールに比べれば遥かに快適だし、車も良い。流石インドといったところか。
Dsc_0114Dsc_01169時半頃に道は行き止まりになった。ここがジンチェン(3,385m)らしい。数年前までは遥か手前から出発しなければならなかったようで、今はだいぶ行きやすくなったそうだ。

準備を整え、10時前に出発。天気は雲が多く時々小雨が降っていた。
柳の茂る川沿いを暫く歩くと、大きな岩を真っ二つに割ったような谷に入っていった。道は時々川を渡りながら伸びているが、丸太が2本渡してあるだけなうえ滑りやすかったので、かなり緊張した。
谷はだんだん広がってゆき、それにつれて天気も回復してきてくれた。

Dsc_0125Dsc_012611時過ぎにルンバックとユルツェの分岐に到着。休憩所があったが、シーズン後だったので営業はしていなかった。
ここで小休止を取り、ユルツェ方面へ進んでゆく。左へ分けるルンバック方面は、4,800mの峠を越えてストクへ抜けるショートトレッキングコースだ。

Dsc_0131Dsc_0138川幅は広がりその川を対岸へ渡る直前に水車小屋があった。中を見ると石臼が回っており、小麦の製粉所らしい。
周囲を見渡しても民家など一件も無く、人工物はこの小屋のみ。奇妙な光景だった。
少し離れた集落の人々が使っているのだろうが、盗まれる心配が無い平和な場所だということでもあろう。

Dsc_0143Dsc_0149ぐにゃっと曲がった地層(どんな地殻変動があったのか)を横目に見ながら、川の上流へ登ってゆく。
本流から支流へ道は分れ少し歩いたところで広い草地があったので、そこでランチ。
ガイドのヤンペルさんがランチを用意してくれていた。レーの町中にある(現地では)有名店、ジャーマンベーカリーのサンドイッチだ。妻とポーターさんを入れて4名、足元に咲く小さなタンポポを囲って美味しくいただいた。

Dsc_0154Dsc_0155ランチを取った場所から道はすぐに登り上げ、川沿いから一段上がった崖の上へと伸びている。そこから30分とかからないうちに、大きな民家らしき建物が一軒だけ建っているのが見えてきた。ここがユルツェ(4,077m)という場所らしい。
宿泊地というからちょっとした集落があるものと思い込んでいたのだが、随分寂しい場所だった。
Dsc_0156ここに到るまで、民家らしき建物は一軒も無かったのだ。
やはり生活は厳しいのだろうか。ささやかな金額だが、僕らが落とすお金で少しでも生活の足しになれば良いのだが。

Dsc_0178Dsc_0191近づいてみると、建物は随分立派な造りだということが判った。まるで砦のようだ。
中にお邪魔して、屋上の客室らしき部屋へ通される。電気はもちろん来ていないが、開放感があるし風も通さない安心感があるしっかりとした造りの部屋だ。これなら安心して過ごせる。
Dsc_0168Dsc_0173入り口にはブルーシープの首が飾られていた。魔除けの意味があるらしい。日本で見れば気味が悪いものも、ここでは神聖に見えるのだから不思議だ。通路の物置にはヤクの毛を紡いだ毛糸球や、太陽光で煮炊きする道具などがしまわれている。生活感があって楽しい。そりゃそうだ。ネパールと違って、ここではホームステイなのだから。

Dsc_0197Dsc_0207部屋でひと息つき、荷物をまとめてからカメラだけ持って外に出てみた。
ユルツェは山の中腹に民家が一軒だけ建っている寂しい場所だったが、チョルテンやマニ石がいくつも置いてあるところを見ると他にも数件あったのかもしれない。あるいはこの家族だけが代々この場所に住み着いていたのだろうか。
Dsc_0167Dsc_0214中腹とはいえ元の標高が高かったので、登ってきた方へ目をやると山々が見渡せるくらいにはなっていた。
すぐ近くでこの家のものと思われるヤクが数匹寛いでいる。おばさんは籾殻を飛ばし、若そうなお母さんは屋上で赤ん坊をあやしている。
当たり前だが本当にここには現地の人の生の生活があるのだ。目の前の光景は大昔から変わっていない風景に違いない。

Dsc_0212Dsc_021330分ほど散歩してから、家のダイニングにお邪魔した。中は想像していたよりも遥かに広く豪華で清潔だった。
下手をするとホテルよりもずっと快適そうだ。普段から人が生活している温かみがある。

中には先程の親子が夕食の支度をしているところだった。僕たちのほかにもう一組客がいた。
オーストラリアから来たカップルで、この日は向こう側から峠を越えて来たらしい。かなりの長丁場だったらしく、途中の集落で馬を雇ったのだそうだ。そういえば夕食を手伝っているお姉さんが一人増えている。
明日僕らはその道を歩かねばならない。食事が出てくるまでの間、お互いにできるだけ情報交換をした。

Dsc_0217こうこうしているうち夕食が運ばれてきた。レンズ豆の豆カレーのようだったが、カレーの味ではなかった。どちらかというとダル(ネパールの豆スープ)に近い感じだ。こちらの方が辛くなく食べやすい。

灯りは日が暮れて薄明かりのぎりぎりまで点けなかったが、そのうち蛍光灯が一つ点いた。
ソーラー発電をバッテリーに溜め、夜に使っているようだ。毎度のことだがこういう状況に身を置くと、明かりのありがたさが身に沁みる。とはいえ灯りが点いているのは2時間ほど。蓄えた電気はすぐ底をついてしまう。その間だけ本を読んだり日記を書いたり、各々自由な時間が過ごせるのだ。

夜8時消灯。ヒマラヤの夜は早い。寝るために部屋へ戻る途中空を見上げると、満点の星空だった。天の川をはっきりと見たのは、2年前のカイラスの旅以来だった。

2日目へ続く

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2014年4月 1日 (火)

2013年 インド ラダックヒマラヤ マルカバレートレッキング レー滞在

2013年10月。今回は嫁と二人でインド、ラダック地方を旅した。

Dsc_0052 ラダックは昔からのチベット文化や遺跡が多く残っているエリアで、以前から行ってみたい場所だった。

現在中国領になっているチベットは、寺院にあった昔からのものは多く破壊されてしまっている。インド領だったラダックだけ、幸運にもオリジナルの文化や寺院が残されたのだ。

成田~バンコク~インド、デリーへ。
バンコクでの乗り換えはスムーズにでき、予定通りにデリーの空港へ。
デリー空港は以前の汚く薄暗い場所とは変わっていて、明るく綺麗な空港になっていた。
少し緊張して入国したのだが、少し拍子抜けだった。
ただ、空港から外はどんな感じなのかは判らない。ガイドを見た限りでは以前と同じで悪質な客引きやタクシーが多いようだ。

Dsc_0108 時間は現地時間夜8時半。僕たちは入国審査を受けてすぐの空港ロビーで、国内線に乗り換えるために乗り換え口を捜した。
国内線のターミナルにすぐに行けると思っていたのだが、なんと警備員が出発の2時間前でないと入れてくれなかった。
時間があれば市内へ入り一泊して戻れば良いのだが、朝5時のフライトなので3時には来なければならずそれも出来ない。
おかげで僕たちは空港のロビーで6時間以上も待たなければならなくなっってしまった。
ロビーはベンチもカフェも、売店も24時間開いているので不便はないのだが、いかんせん横になる場所が無い。
国内線ターミナル入り口付近にレストルームもあるにはあるが、とても高い。しかもソファがあるだけで横になるには少し工夫がいる。
デリーの空港で夕方以降に着く場合、翌日早朝のフライトを使う場合はかなり不便だった。次回からは少し一考を案じた方が良さそうだ。

Dsc_0087 飛行機は約1時間半でレーの空港に到着した。
いきなり3,200mへ降り立ってしまったため、結構息苦しい。
そして早朝は寒い。日本を出発する際に多少着込んではいたが、バンコク、デリーと暑い場所が続いたため余計寒く感じる。
ラダックの季節は晩秋。冬の到来が間近のシーズン終了直前だった。
荷物受取所で簡単な書類を書かされ荷物を受け取り、空港の外へ。

すぐに迎えのガイドさんが声をかけてくれた。日本人は僕らだけだったのですぐに判ったのだろう。
ガイドさんは「ヤンペル」さんといって、日本人の奥さんとヒドゥン・ヒマラヤという旅行会社を営んでいる方だ。
会話は英語だけと聞いていたが、日本語はほとんど通じた。もちろん判らないこともあったが、英語の単語を話せばすぐに理解してもらえる。
顔つきも日本人そっくりだし割とひょうきんで、とっつきやすいお兄ちゃんのような印象だ。

ヤンペルさんの案内で、予約をしていた「シャンティ・ゲストハウス」へ向かった。
この宿はレー中心部から離れてはいるが、歩いて行けない距離ではなく静かで落ち着いた宿だ。
宿のご主人やスタッフも、慣れている感じでリクエストにも気軽に応じてくれて信頼できる。

部屋は2階の角、暖房、バストイレ付きの一番良い部屋を用意してもらった。
値段もそれなりにしたが、標高も高く長旅の疲労で体調を崩してしまったら身も蓋もないので、ある程度は許容範囲としようと決めたのだ。
だが、シーズンオフ直前だったからかもしれないが、停電が頻繁に起きる。
ネパールと違い予測がつかず、いつ電気が消えるか、いつ電気が点くかまるで判らない。
宿にはWifiも付いてはいるが、インターネットに繋がることも稀な状況だ。
そのためバッテリーのチャージやシャワーなどは電気が来ているうちに済ませておくなど、いろいろ対策を考えなければならなった。
これも不便な辺境の地で、普段と変わらない環境を手に入れているのだから、多少の不便は受け入れよう。

僕たちは高度順応のためにここで3泊する。いきなり出発すると高山病にかかる可能性が非常に高い。最低3日は滞在し、高度に体を慣らしておく必要があるからだ。
朝食は宿代に付いていた。簡素なチャパティとミルクティー、たまご焼きだけだがこれが素朴で美味しい。
ここでヤンペルさんと別れ、午前中いっぱい宿のベッドで熟睡した。徹夜がかりの移動で疲労困憊だった。

Dsc_0004 目が覚めて宿の庭で昼食(チョーメンとトゥクパ)を取った後、シャンティー・ストゥーパという仏塔が近いというので散歩がてら出掛けてみることにした。
高度順応はその場に留まる場合、昼のうちに少し高い場所に行っていた方が、夜寝るときの負担が軽くなるのだ。

宿のおばさんに行き方を確認し、車道をゆっくり歩いて40分ほどかけてストゥーパに向かった。
Dsc_0017 シャンティー・ストゥーパはレーの街西方の小高い丘にある仏塔で、日本山妙法寺が1985年に建てたのだそうだが、何故か解らないが現在は袂を分かっているらしい。
レーの街が一望できるしテラスは清潔なので、温かい日はここでゆっくり過ごすのも悪くない。
Dsc_0021 Dsc_0022 帰りは宿に直接降りることができる歩道を使ったのだが、結構な傾斜のある階段を長く歩かされた。これが登りだったら高山病になったかもしれない。

翌日はヤンペルさんの友人が宿に迎えに来てくれて、トレッキングに必要なものの買い出しをした。
といっても大体は日本から持ってきているので、日用品やガイドマップだけだったが。
Dsc_0048 中心街の店は流石に営業していたが、町中を少し外れた観光客用の店などは軒並み閉店し寂しい有様だった。
これから冬支度で日を追って閉まる店は増えていくそうなので、10月になってからのラダックの旅は注意した方が良さそうだ。

3日目、トレッキングを翌日に控え準備も済ませたので、この日はゆっくりとレーの王宮辺りを散策することにした。
町中へは歩いて30分くらいかかってしまうが、散歩には丁度良い。
Dsc_0049 イスラムの寺院の脇道から小路へ入り、王宮の真下辺りから遺跡のような民家の中を潜り抜け坂道を登ると、レー王宮の入り口に出た。
100ルピーの入場料を支払い門へ。つい10年くらい前まで人が入るのも危険な廃墟だったそうだが、今では修復も進み当時の綺麗な王宮に戻りつつある。
Dsc_0058 レー王宮は17世紀にセンゲ・ナムギャル王によって建てられた王宮で、チベットのポタラ宮のモデルになったとされている遺跡だ。
内部は調度品などはほとんど無いのだが、迷宮のように入り組んでいる通路や部屋を散策していると、インディージョーンズの世界のように探検している感じで楽しい。
Dsc_0064 Dsc_0074 所々ミュージアムのとして整備されていて、以前がどんな感じだったのか解るのが良い。壁には所々、当時のままの壁画が残っている。
Dsc_0067 王宮上部の隅には小さなゴンパもあって、千手観音の様な白傘ガイ仏母(びゃくさんがいぶつも)がご本尊で祀られていた。このゴンパも古そうだ。

レー王宮を出た後、車道の脇道より伸びる歩道からナムギャル・ツェモ・ゴンパへ向かった。
Dsc_0083 Dsc_0095 なかなかの急坂で、空気の薄いこの場所で慣れない身ではゆっくりでなければとても歩けない。
じりじりと詰め寄るように、休憩しながら登っていった。
ようやく辿り着いたゴンパからの眺めは素晴らしかった。先日行ったシャンティストゥーパからレーの街全体、空港まで見渡せる。
Dsc_0089 Dsc_0096 壁が紅く塗られたゴンパにはチャンバ(弥勒菩薩)が祀られているそうだが、残念ながら鍵がかかっていた。留守のようだ。
その裏にある対照的に白く塗られた砦跡も入れない。でもここは崩壊が進んでいそうな遺跡で、危険だから閉鎖しているのかもしれない。遺跡とはいえ砦のテラスは健在で、あの上に行けばさぞ素晴らしい展望に違いない。
Dsc_0092 Dsc_0103 ゴンパと遺跡をしばらく外から観察した後、僕たちは尾根の反対側へ降った。この道は来た道と対照的に綺麗に整備された階段が下まで伸びていた。
降りきった下の集落の路地にはストゥーパやマニ石が至る所に積まれていた。昔から由緒あるゴンパだったに違いない。

Dsc_0110 僕たちはそこから一旦街の中心地へと戻り昼食を取った後(途中インド映画の撮影をやっていて少し見学していた)、早めに宿に帰り翌日の準備をした。

明日はいよいよトレッキング出発だ。

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